過去の歴史を忘れてはならない

 韓国海軍の自衛隊機へのレーザ光線照射事件や、戦時中の徴用工の補償問題などで、またもや日本と韓国の関係が難しくなっている。自民党の額田氏や河野外務大臣が韓国側と接触して打開を図っているようだが、外に現れている日本の頑なな姿勢では解決は容易ではなさそうである。

 経過を新聞などで見ていると、韓国側の国民の間に未だに残る植民地時代の被害の補償を徹底してやりたいという強い願いと、日本側の政府間の外交的な処置で早く片付けてしまいたいという態度との間の矛盾が大きいようである。

 日本政府は2〜3年前の外交交渉で、国家間の補償問題などは一切済んだので、以後韓国側からとやかく言われる筋合いはないという態度で臨んでいるが、韓国側は政府間の補償問題は済んでも、日本政府も認めている個人の補償問題は別で、今尚請求権があることを主張しているようである。

 日本側から見ると、過去の嫌なことは早く済ませてしまいたいというところだが、韓国側は過去の辛い被害の思い出はいつまでも忘れられないという感情が絡んでいるところが、解決を難しくしている背景にある。

 そのため親日家でもある、韓国の国会議長が「日本の総理か天皇慰安婦被害者直接会って誤ってくれればすぐ解決のつく問題なのに」と自分の思いを語った言葉に、安倍首相までが反発して、「取り消せ」などというものだから余計にこじれてしまった。

 日本の右翼にとっては「天皇とは、何を無礼な」と色をなすが、外国から見れば、「戦争責任者の息子で、国を代表する者」に過ぎないであろう。韓国の国会議長はむしろ好意的に解決法をサジェストしたのにと心外に思ったようである。「謝るべき方が謝らないで、謝れとはけしからん」と怒るのは当然であろう。

 以前にもこのBlogに書いたことがあるが、イソップの話の中にも少年が池の蛙に石を投げる話がある。加害者の子供は軽い気持ちでやったことで、すぐ忘れてしまうが、被害者の方は命にも関わることで、いつまでたっても忘れられない出来事なのである。(2017.06.05.慰安婦問題)

 日本人も戦時中の原爆や大都市空襲の被害は決して忘れてはいけない、いつまでも伝えるべき出来事だと思っていることを考えれば、韓国の人たちが植民地時代に受けた数々の悲惨な被害を同じようにいつまでも忘れてはならないと思うのも当然であろう。

 ドイツでは、今だにナチス時代の残虐行為の記憶を見える形で残しているし、最近の移民にさえ、そのネガティーブな歴史を学ぶことを国籍取得の条件にしているようであるが、日本政府には「もう謝ったから一切済みだ」として、もはや過去に対する謙虚な姿勢がないのが対照的である。

 外交的な取り決めはお互いに守るべきである。しかし、それで過去が清算されるわけではない。植民地時代に犯したネガティーブな歴史の責任はいつまでも日本が負うべきである。安倍首相たちにはその過去に対する反省や被害者に対する思いやりが欠けているのである。

 アメリカに対しては、沖縄問題一つにしても、自国の国民の強い要望を無視してまで、低姿勢に終始して、何でも相手の意に沿いながら、他方、韓国に対してはその弱さを補うかのように、高圧的な態度で臨んでいるように見える。

 遠い将来まで見通せば、近隣国との友好はアメリカとの友好関係以上に大切なものである。韓国政府や韓国国民の思いにも、もっと心を配って対処すべきではなかろうか。