好ましい外国人と好ましくない外国人

 最近は2020年の東京オリンピックを視野に入れて、観光日本、観光日本の呼び声が盛んに聞かれるようになって来た。咋年は外人観光客が二千万人を突破したようで、オリンピックの年には四千万人を目指そうという話もある。

 そのための宣伝パンフレットやテレビなどのコマーシャルのようのものも増えて来た。しかし、いつも思うのは、これらに出てくる外国人というのはほとんどが欧米人で、アジア系の人の姿は滅多に見かけない。観光以外のコマーシャルでもモデルになっているのは大抵欧米人で日本人のモデルよりはるかに多い。

 ところが、実際の観光客の大部分はでアジアからの客で、一番多いのは中国人である。心斎橋などを歩いても「今日は」と声をかけるよりも「ニーハオ」と言った方が通じそうな人ばかりといってもよいぐらい。最近は顔つきや服装も日本人と区別がつかない。言葉を聞いて初めて判別がつくのが普通である。日本にとっては大のお得意様とも言える。

 それなのに、中国からの観光客に対する日本人の評判は決して良くない。それどころかネットなどを見ると、嫌韓、嫌中のおぞましい書き込みなどが溢れている。やかましい、行儀が悪いなどと毛嫌いする人も多い。しかし、これまで日本より発展段階の遅れていた中国の人たちを今の日本人と比べるのは酷であろう。

 一頃の日本人はパリへ行ってもどこでも「よっこいしょ」と行って腰をおろすし、マナーが悪いといって非難されたものである。中国からの観光客も一頃は団体客ばかりだったが、最近は個人客が多くなったし、顔つきや服装も昔の農村から飛び出て来たような日焼けした顔の人はあまり見かけなくなった。日本でも田舎から出て来た人でも節くれだって日焼けした手の女性を見ることがなくなったのと同じであろう。

  中国の嫌いな人も直接個人的に中国人と付き合う機会を増やすと良いであろう。文化の違いはあっても、日本人と同じで、良い人が多いが悪い人もいることがわかる。人口が十倍だから素晴らしい人も日本で一人なら中国では十人いることになる。とにかく隣の大国である。学ぶべきことも多い。親切に付き合わねばならないのは当然であろう。

 韓国の人も多いが、最近は嫌中、嫌韓の流行で、ネットなどでは韓国の人にめっぽうもない罵詈雑言を浴びせている人も多いが、もともと日本人の大多数といっても良い人が先祖を同じくしている間柄なので、韓国人に対する悪口はご先祖様をけなしているようなものであることを知るべきであろう。隣人は大切にもてなすべきである。

 もはや日本の人口は減るばかりであるのに対し、アジアに人口は今後も増え、経済的な発展も素晴らしく、アジアの文化を受け入れ、アジアの若い人たちのエネルギーを吸収し、上からの目線でなく、同じ目の高さで接することが今後ますます必要になるであろう。経済的にも文化的にも、今更「脱亜入欧」ではこの国は世界の発展に取り残され、アジアの孤児になってしまうであろう。

 観光客だけでなく、もっと多くの分野でアジアの人々との人的な交流を深めるべきであろう。ところが人口減少で労働力確保のために嫌でも外国人労働者を受け入れなければならない事態なのに、その受け容れとなると途端にこの国の態度は冷たい。

 外国人労働者技能実習生という名の下、低賃金、重労働の仕事につき、非人間的扱いを受けていることは周知の事実だ。厚生労働省も2014年だけでも、実習実施機関に3918件の監督指導を実施。そのうちの76%で労働基準法関係法令違反があり、最低賃金のおよそ半分である時給約310円での業務従事や、月120時間の残業、さらには安全措置が講じられていない就労があったこともわかっている。

  政府の移民や外国人労働者受け入れ態勢は対象者を下働きの労働力としてしか見ず、人間として考えていない。定住されるのを嫌がり、期間限定の研修生などと称して、ひどいところでは、パスポートまで取り上げ、低い賃金で、まるで奴隷に近い扱いをしているところもあるらしい。

 このような見下した対応は日本人の下士官根性、上にへつらい下に傲慢、アメリカにへつらい、アジアには傲慢といった態度にも関係があるのではなかろうか。しかし時代は急速に変化しつつある。大事に扱わなければいつかしっぺ返しがくるものと思わなければならない。

 今後のアジアの発展を考えるならば、アメリカ一辺倒の従属関係を少しづつでも改め、アジアとの関係を良好なものにしていく必要があるのではなかろうか。それが今後の日本が生きていく唯一の道のような気がする。外国人といえばアメリカ人の時代は過ぎた。これまで外国人とは見ていなかった外国人も、同じ外国人とみなすべきであろう。

 やはりアジアでは国土の広さや位置、人口、経済的な発展などからいっても中国が中心であり、それを軸に西欧文化を取り入れた新しいアジア的な文化が作られていくのであろうが、その中での日本の立ち位置や役割を考え、今から一歩一歩その足場を固めていくことが必要なのではなかろうか。