靴磨きをしながら思ったこと

 2−3日前のこと、久しぶりで靴磨きをした。たまたま革で出来た小銭入れの表面がカサカサな感じになっていたので、革磨きの油脂を塗ってやったら良いのではと思い、以前に東急ハンズで靴用のワックスを実演販売しているのに出会い、買い求めたものがあったので、それを塗った。

 そのワックスを出した序でに、久しぶりに靴も磨いてやろうと思い、靴箱の靴を引っ張り出して、片っ端から靴を磨いた。古い靴ばかりが沢山あるものだなと感心しながら次から次へと靴を磨いていったが、磨きながらふと考えた。

 一番新しく買った靴といっても、いつも散歩や箕面に行くとき履いていく靴だから、いつ買ったのだろうか。心斎橋のアシックスの店で、まだ店名が変わる前だったから、もう少なくとも2年以上は前になる。

 以前に買って履き心地が良いので気に入っていたのが、底がすり減ってしまったので、同じものを買い換えようとしたが、同じものはもうなくて、色々足の計測などしてもらった後で、よくフィットした新しい靴を買ったものである。

 その次に新しい靴は、仕事などの時に今も愛用している、町歩き用のチャックのついた黒革のウオーキングシューズである。これは淀屋橋のミズノの本店で、同型の靴を履いた店員が色々と計測をしてくれて、売ってくれたもので、現在も一番愛用している靴である。

 これを買ったのは、上記の靴より前のことだから、3〜4年以上も以前ということになるであろう。同型の靴は気に入ったので、使い始めてから既に3代目のものになる。

 そのほかまだ海外旅行によく行っていた頃に愛用していたメフィストの革靴が2足ある。今でも時々履くが、新らしい茶色の方は千里中央メフィストの店で買ったことを覚えているので、以来もう10年近くは経っていようか。

 そうなると、「これなら結婚式にでも履いて行けますよ」と言って勧めてくれた黒のスリッポンの靴は、買った早々に金沢の学会に行って雨でびしょ濡れになった記憶があるので、もうひょっとしたら20年ぐらいも以前に買ったことになるのであろうか。

 それならあと2足あるスリッポンの革靴はそれよりも古いものだから、もう30年近くも前のものを今でも時々履いていることになるのであろうか。

 これら以外にも、稀に履く靴が何組かある。物持ちが良いのであろうか。黒が多いが、茶色も2〜3組あり、用に合わせて使い分けているからか、いつまでたっても使用可能な姿で残っている。

 一番上等な「よそいき」として買った、10万円もしたスイスのBallyの靴は、大事にし過ぎて滅多に履かないものだから、今も靴箱の中で健在だが、これなど、買い求めたのはまだ現役時代だから、もう30〜40年ぐらいも前のものということになる。

 歳をとると歩く量も減るし、良い靴を履いて行かねばならない機会も減る。履いて歩く人間の方は歳をとるが、あまり履かれない靴はいつまでも健在である。いつ死ぬかわからないこの歳になると、もうあまり靴屋さんのお世話になる機会もなくなるのではなかろうか。

 靴に限ったことではない。洋服にしても、まだ仕事をしている時には、スーツも何着かは必要で、時には傷んだりして新調もしなければならなかったが、今となっては、洋服ダンスに古い昔のものが静かに眠っているだけになる。

 最後に新調したスーツでも、靴よりも古いので、ひょっとしたらもう30年近くも前のことになるのではなかろうか。

 そんなことを思い出したりしていると、これでは日本も不景気になる筈だなと思わざるを得なくなってきた。老人は私同様、衣類や靴などは多かれ少なかれ、古いものを沢山抱えている。今更老人に新しい需要はあまりない。少子高齢化で人口が減り、老人が多くなると、衣類も靴もあまり売れなくなるのは当然であろう。

 商品の販売は何にしても、やはり若者に焦点を絞らなければならないであろう。若者は嫌でも生活必需品を揃えなければならないから、不景気でも、嫌でも最低限のものだけでも買わざるを得ないであろうが、老人は既に持っているもので間に合わせられる。 

 こう見てくると、老人が多くなり、人口が減るこの国の景気は、余程変わったことでも起きない限り、良くなっていく可能性は少ないのではなかろうか。これまでとは全く違った発想で世の中のあり方を考えないと、先の明るい展望は望めないのではなかろうか。