本来のオリンピック精神に戻ろう

 2020年東京オリンピックの招致の段階で、その招致活動に関して、フランス当局が贈賄容疑で、招致委員会の理事長だった竹田恒一日本オリンピック委員会JOC)会長への捜査が進んでいると新聞は報じている。

 なぜフランス当局なのか、私には判らないが、オリンピック招致に関して、JOCシンガポールだかのコンサルタント会社に2億円だったかの金を支払ったことは周知の事実で、それに関して、後でオリンピック委員会が調査チームを設け、「違法性はない」と報告していることも報道されている。

 ただし、その時、肝心のコンサルタント会社などへの聞き取りなどは行われておらず、金の流れも不明のままであったそうである。しかも、この件では先日JOCが会見を開きながら、竹田会長が疑惑を否定するメモを読み上げただけで、質問には一切答えなかったことから、内外メディアからも返って一斉に疑惑の目を向けられるようになっているようである。

 今回のオリンピック招致については、東京に決まる前から、私から見ても、あまりにも強引過ぎるなという印象を抑えることが出来なかった。

 東日本大震災の影響を避けるために、未だに非常事態も解除出来ないでいるにも関わらず、当時すでに「完全にコントロールされている」と安倍首相自らが大見得を切り、7月の終わりという、日本では一年中で一番暑い酷暑の開催日時を「一年で一番良い季節だ」と見え透いた嘘を付いたりしていたのに呆れていたが、それの加えてコンサルタント会社を通じて贈賄までして誘致してきたのはあまりにも強引過ぎたのではなかろうか。

 98年の長野の冬季オリンピックの時にも、買収疑惑が浮上し、調査の結果、帳簿類が密かに焼却処分されていたことが明らかになっているのである。オリンピックを国威発揚、経済発展の足がかりしようとしたのであろうが、もう少し慎重にすべきだったのではなかろうか。

 それに、本来オリンピックは国家が競うものでなく、個々の選手のためのものであり、国威発揚のためには使わないようにとされているものである。ここらでもう一度オリンピックを見直し、本来のオリンピック精神に戻り、国家的な祭典を止め、個々の選手間の競争に徹し、商業主義から脱し、設備投資から運営協議まで、全てを選手中心の祭典に変えていくべきであろう。

 それでこそ、世界中からの選りすぐられた選手が、どこの国の選手であろうと、出来るだけ同じ条件で戦えるようになり、その競技を世界中の人が応援し、皆で競技を楽しめる祭典になるのではなかろうっか。

 今から聞えて来る「ニッポン、ニッポン」の声援、「金が幾つ、銀が幾つ」の国ごとの競争の発表など、最早聞きたくない。時代遅れの国威発揚はもうそろそろ卒業しても良い頃ではなかろうか。

 オリンピックが世界を「競争」から「協調」へ変えるきっかけにでもなれば、人類にとって、そんなに嬉しいことはないのではなかろうか。