南京虐殺はあったか

 最近日本の右翼の人たちには南京虐殺などという事実はなかったという人までいる。

 しかしそういう人たちでも、日本が中国を侵略して南京を占領したことは否定していないであろう。何万人殺されたか、正確な数が問題なのではない。占領に際して一般住民の大量殺人が行われたことは、中国側の主張だけではなく、当時南京に滞在していたドイツ人牧師の証言もあるし、直接それに関わった旧日本兵の証言などもある。現在でも、なお南京に赴いて調査を続けている日本人もいるし、加害と被害の双方から聞き取ったルポルタージュ映画などもある。

 もう今日のように、殆どが戦争を知らない世代の人ばかりの時代になると、自分の国を良く思いたいので、過去の汚点を否定したくなる気持ちもわからないことはないが、過去の歴史を正しく認識することが、将来進むべき道を正しく示してくれるものである。

 イソップの少年が池の蛙に石を投げる話でもわかるように、加害者はすぐ忘れるが、被害者にとってはなかなか忘れ難いものである。日本人が空襲や原爆の被害を忘れられ難ければ、南京虐殺の歴史も被害者側には忘れられないのは当然であろう。

  記憶は得てして曖昧になったり、知らぬ間に都合の良いように変えられたりすることもあるものだが、それを前提にしても、まだ子供であったが、私にはその時に生きていた者として、色々な事実を思い出す。

 当時は田河水泡の漫画「のらくろ」のシリーズが子供達の間で一世を風靡していたが、のらくろは兵隊に行き、新兵から始まった次第に階級が上がっていくのであった。当然戦争にも行き、漫画の本にも中国の地図が載り、日本が占領した都市に日の丸がつけてあるコマのあったことを覚えている。それに倣って、私も中国の地図を広げて、新聞に載った都市を探し、日の丸の印をつけたりしたものであった。

 南京の城壁に並んだ日本兵が万歳を叫んでいる写真は何回も見せられた。それとともに日本軍が多数の敵兵を倒したとか、戦勝を祝った輝かしい戦争の記録などが新聞を賑わしており、当時は新聞とラジオぐらいしか情報源がなかったので、子供達もラジオのニュースを聞き、新聞を見ては喜んだものであった。南京陥落万歳という旗行列や提灯行列なども行われた。

 その頃新聞を賑わせていたのは二人の将校の百人斬り競争というのがあった。戦後否定されたが、当時は日本軍の勇ましさ、勝利の象徴のような扱いで、子供たちまでも応援するような気持ちで読んでいた。

 当時の話は新聞や報道でも敵兵を多く殺せば殺す方が良いというような書きぶりであったし、子供たちもそれが勝ち戦だと思っていた。弁衣隊という言葉をよく聞かされたが、軍服でなく普通人の格好をした敵兵、即ち一般住民を指していたようで、軍人ばかりでなく弁衣隊も多く殲滅したというようなことが書かれていたように思う。

 また当時のエピソードとして覚えているのは、揚子江に停泊していた日本の海軍から陸軍に「川にあまりにも多くの死体が浮いており、死体がスクリューに引っかかって軍艦が動かない」という苦情が寄せられたというのがあった。当時はいかに多くの敵兵を殺したかという自慢話の一環のような形で知らされたものである。

 当時の日本はまだ貧しかったので、軍隊にもゆとりが少なく、小銃一つにしても天皇から授かったもので、兵隊の命よりも大事だとされたし、兵隊は一銭五厘でいくらでも集められるが、軍馬はそういうわけにはいかないので、人間よりも馬の方が大事だなどとも言われていた。

 したがって、兵隊の人命尊重、人権などという概念も軽く見られていた。当時は戦地に初めて来た初年兵に戦地というものを知らせるためと称して、占領地の近くの村の適当な中国人を拉致してきて、棒にくくりつけて銃剣で刺して殺させるというような経験をさせた話も大ぴらに聞かされていた。

 戦時中に中学校では正課として教練というのがあったが、その一環として銃剣術が教えられ、そこでも地面に立てた杭に藁をつけて仕立てた人形を、敵兵に見立てて銃剣で突く訓練であった。戦争帰りの下士官が生徒たちに、「そんなやり方では人は殺せん」と怒鳴ってやり直しをさせたりしたものであった。

 そんな貧しい軍隊であったので戦争でも補給が一番の問題であった。「現地調達」という言葉が一般人にもわかるぐらい多用されていた。補給が間に合わないので兵隊の食料や日用品なども現地で適当に賄えということなのである。

 軍隊の運用ががそういう構造になっているからには、特に占領直後などでは補給が間に合わないので、現地で必要を満たさねばならない。当然略奪が行われたであろうし、若い兵隊ばかりなので、戦争につきものの殺人や傷害、婦女子への暴行などが起こったであろうことは想像に難くない。それを復員してきた兵隊が自慢して話していたものであった。

 そういう勝ち戦の経験があればこそ、敗戦直後に「アメリカ兵が上陸して来たら男は皆殺される、女は犯される、山へ逃げろ」と真剣に言われたのは戦時中にこちらがしてきたことを踏まえた警告だったのであろう。

 このような私の知っている範囲の当時の周辺事情だけから見ても、南京事件は起こるべくして起こったもので、種々の記録や発表と合わせて考えれば、それを否定することは困難である。嫌なことでも過去の事実は率直に認め、その反省をも含めた基礎の上に立って、初めて真の友好関係が築かれるものだと信ずる。