年寄りはいつまでガン検診を受けた方が良いか

 若い時には癌が生じても、出来るだけ早期に発見すれば、早期胃がんのように完治可能なこともあるし、完治出来なくても治療により命を長らえ、家族に対しても、社会に対してもある程度責任を果たすことが出来、その人の人生を少しでも豊かにすることが可能なので、出来るだけ健康診断やがん検診は受けるべきだと思う。

  しかし、年寄りの場合は少し事情が違うのではなかろうか。人は必ずいつかは死ぬものである。今では癌で死ぬ人が一番多い。もう仕事の第一線から退いて年金生活を送っているような人にとっては、最早家族や社会に対してもいつまでも貢献しなければならない義務も少ない。

 いつまで生きるかは天の定めに従うよりない。遅かれ早かれ必ずいつかはお迎えがやって来る。それまでどう生きるか、いつまで生きたいか、どのように死にたいかなどは人によって異なるであろう。しかし、私はここまで生きれば、あとは天に任せてジタバタしようとは思わない。ある時死の病がやってきたら、ひどい苦しみは御免被りたいが、大きな流れに逆らわず、運に任せて素直に従いたいと思う。

 この歳になって命にしがみついて闘病するなど見苦しい。そう思って、男の平均年齢の80歳を超えてからは定期検診などは受けないようにして来た。早期に癌が発見されたとしても簡単に完治するようなものであれば良いが、そうでなければ苦しみを長引かせるだけになる。放置していて極端に悪くなってから判った方が死ぬまでの苦しみの時間が短いことも計算に入れるべきであろう。

 最早九十歳も越えれば、例え何らかの病を背負い込んだとしても、治って、また快適に暮らせるのでなければ手術など、大げさなことは避けた方が賢明であろう。年寄りの場合には、ガンでも発育が悪いことが多いので、手術はうまく行ったが、安静が続いたために全身が衰えたりして、手術しなかった方が長生き出来たのではないかと思われる例もある。そうでなくても、手術後に、どこかの機能不全に陥入ったり、寝たきりや、それに近い状態になってしまうといったことも多くなるものである。

 それより、癌の存在を知らなかったとしても、知らずにそのまま死に向かった方が幸せではなかろうか。知ることがいつも良いとは限らない。一度しかない人生の最期はやはり大事にしたい。長さではなく内容である。そのためには要らない雑音を入れないで、行ける所までは、楽しく暮らしたいものである。

 知らぬが仏で機嫌良く暮らして来た老人が、わざわざ検診を受けに行って治らない癌を発見され、不安に苛まれ、抗がん剤の副作用で日々の生活に支障をきたすなど、余命をいくらか延ばすことが出来たとしても、それが果たしてその人の人生にとってプラスなのかマイナスなのか考えさせられるところではなかろうか。

 ただ、こういう希望は人により異なるので、老人医療費の高騰で苦しむ為政者にこれ幸いと利用されて、”無用な”老人医療費の削減策に利用されがちなことにはくれぐれも注意しておくべきであろう。老人の生き方、死に方は人によって希望も、実際も随分違うものだから、上に書いたような私の思いを他人に強制しようという気はサラサラない。 

 ただ、私自身は年とともに嫌でも衰えていく体を労わりながら、その上に知らなかった憂いの種をわざわざ背負い込むような真似はしたくないと思うだけである。