童謡は今や老謡

 我々が子供の頃に流行り、長く受け継がれてきたと思っていた童謡も、世の中がすっかり変わって今の子供には通じなくなり、最早老人だけが昔を懐かしむ歌になってしまっている感がある。

 例えば、童謡では代表的な「故郷」というのがある。「うさぎ追いしあの山、小鮒釣りしかの山、夢は今も巡りて、忘れがたき故郷」という、この国の大人なら誰しも子供の時に習った有名な歌である。ところが、最近ある小学校でそれを教えたら、生徒から「先生。兎って美味しいんですか」と聞かれたそうである。

 野山で兎を追いかけた経験もなく、動物園でしか兎を見たことのない子供にとっては「うさぎおいし」と聞けば「兎って食べたことがないけど美味しいのかな」という疑問が湧くのも当然であろう。今パソコンで「うさぎおいし」と打てば「兎美味し」と変換されて、「追いし」よりも「美味しい」が先にくるのだから、子供の疑問も当然であろうかと思わされた。

 もう今では、山で兎を見る機会もないであろうし、小鮒を釣れるような小川もない。人の住む都会の近くの山は全て開発されて、住宅が広がり、広い舗装道路が走ったりして、兎が住める空間も殆ど無くなってしまった。小川はコンクリートで固められ、危ないからといって鉄柵などで囲まれて人を寄せ付けない。もう今では大人でさえ、若い世代の人たちでは、歌のような「忘れがたき故郷」のイメージを持った人も少なくなってしまったのではなかろうか。

 私ですら都会育ちで、親も早くに故郷を出ているので、故郷と言える所がなく、子供の頃には友達が盆や暮れに「田舎へ帰る」とはしゃいでいるのを聞く毎に、帰る田舎のないのを嘆いたことを今でも覚えている。

 それでもまだ、実際に兎を追った経験はある。小学校の時、学校から箕面の六個山へ行って、生徒たちが山の中腹から大勢で山を取り囲み、皆で声を出したり、木や草を揺すったりして、穴から兎を追い出し、下へ逃げないようにして頂上に向かって追い立て、皆でだんだんと輪を狭めていって、兎を頂上に追い詰め、最後に先生が兎を捕獲するということをしたことがあった。

 そのように、その頃は大阪の郊外でも箕面あたりには、まだ自然がたくさん残っていた。山へ行けば、トンボや蝶々も多く、昆虫採集が盛んだったし、猿や鹿を見かけることもあった。川床へ降りられる場所も多く、小魚を掬ったりして遊んだ思い出もある。

 そのような子供時代の体験があるから「忘れがたき故郷 」も自然に心に響くのであろうが、子供の生活がすっかり変わり、テレビやスマホやゲームなどに囲まれ、スポーツや塾通いなどに時間を追われ、山や小川などの危険な?場所から締め出されてしまっては、子供時代の思い出も「忘れがたき故郷 」とはおよそ違ったものになっているのではなかろうか。

 他の童謡にしても、多くは大正から昭和にかけて作られたもので、その頃の世間の風物を取り扱っているものばかりである。「赤とんぼ」と言ってもいまでは殆ど見かけないし、「メダカの学校」もメダカは今では殆ど絶滅奇種である。「雨降り」と言っても「蛇の目のお迎え」の分かる子はいない。「鯉のぼり」でも「いらか」と言っても通じない」し、「焚き火」は最早一般には禁止されている。

 こう見てくると、大正から昭和にかけて作られ、学校で広められた「童謡」もそろそろその役割を終える時期が迫ってきているのではなかろか。これらの童謡が今一番喜ばれて歌われているのは子供ではなくて、老人ホームだそうである。それぞれに違った人生の生活体験を経て来た老人たちにとって、共通して一緒に楽しめる素材としては童謡が打って付けなのであろうか。

 それぞれの老人が子供時代を振り返って皆が一緒に懐かしく思えるのが童謡なのであろう。子供時代に戻って童謡を歌うことに反対する人もいないであろう。どこの施設でも、一緒に歌う機会があれば、皆で声を合わせて童謡を口ずさむことになるようである。「老謡」になってしまった懐かしい「童謡」も我々老人たちの世代とともに消えていくのであろうか。

 こんなことを書いていたら、新聞の折り込み広告に、童謡コーラスの会の勧誘が出ていた。「50才~70才,80才代のマダム&ヤングシルバーに大人気!元気、友達、健康、うた仲間集まれ!!」とある。やはり、童謡は今では昔を懐かしむ老人たちの老謡になっているようである。