モリカケ問題を経た官僚の対応の仕方

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 モリカケ問題で官僚たちが国会で散々追及され、色々な文書が問題になったり、問題となった文書が廃棄されたと言われてりした挙句、最後には財務相による公文書の改ざんまでが明らかになって、文書の管理を見直して徹底することになったが、その結果、どういう風にするのかと思っていたら、このようなものが出てきた。

 いかにも官僚の反応の仕方であり、やり方である。思わず、敗戦直後に軍や多くの官庁で、戦争中の具合の悪い文書を大量の焼いてしまったことを思い出した。

 官僚は政治的に中立であることが必要であり、正確な記録を残すことも大事な仕事である。ところが後で追及される時のことを考えて、出来るだけ細かい資料は捨て、残す記録を出来上がった公文書などのようなものに限定し、必要最低限にしておくことが賢明だと考えたのであろう。

 本当の歴史というものは正式の記録が作られる過程にあるもので、正式な公文書となった記録はすでにそれが都合よく加工されたものであるわけで、後から事実を確かめる時には、正式な記録になるまでの過程に踏み込まねば詳しい本当のことわからないことが多いものである。

 時代が変われば価値観も変わる。後の時代に正しく伝えるためには、出来るだけ生の資料を残すことが必要であり、政治的な事実については、中立的立場の官僚が、個々の一次資料を出来るだけ詳しく確実に残し、後の時代からも追跡可能にしておく義務があるのではなかろうか。

 官僚は時の政府に従わねばならないのは当然である。しかし政治家と違ってことを事務的に進める中立的な立場にあるわけであるから、その過程を後からも検証可能なように記録しておくことが国民に対する公務員としての義務であろう。

 そのためには、公式な文書が出来るまでの過程における色々な事実を出来るだけ何でも記録や保存しておく必要があるであろう。そうすることが官僚自身に取っても、自らの仕事を全うするとともに、自らを守る手段ともなるはずである。

  慰安婦問題などを見ても、敗戦時に記録が殆ど捨てられてしまっているために、記録以外の証言などに頼るしかないことになってしまっているのである。加害者にとってはその方が都合が良いかも知れないが、証拠がなければ、確固とした反論も出来ないことにもなる訳である。

 官僚たちの各個人の自己防衛のためにも、一次史料ともいうべき事実や見聞は捨てないで出来るだけこっそりとでも保存されることをお勧めしたい。