いくら何でも酷過ぎる

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 SNS にこんなのが出ていたが、いくら何でもちとひどすぎるのではないかと思うのは私だけではあるまい。東電の原発事故で放射能汚染を受けて村を追い出された人たちが、未だに放射線量が高いから帰還困難と言われて村へ戻ることが出来ないのに、今住んでいる避難住宅の提供が打ち切られるというのだそうである。

 何の罪もない普通の住民たちが、明らかに人災と認定された東電の原発事故のために、自分たちの住んでいた土地を追い出され、避難住宅に仮住まいさせられているのに、もう時間が経ったからといって、元の村へ帰ることも許されないのに、今の仮住まいの避難住宅も追い出され、後は自分たちで勝手にしろというのはあまりにも酷すぎる。どこへ行けというのだろうか。

 幾ら何でも酷すぎる。村を住めなくした加害者の東電が当然住民の生活の面倒を見るべきであるし、もし仮に東電にそれが出来なければ、国が代替してでも、住居を確保すべきである。東電が事故の責任を負って被災住民の生活を保障する義務があるが、それが出来なければ、国によってでも住民の生活は守られるべきである。

 あまりにも常識はずれの対応に腹を立てずにはおれない。

 

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 こちらもあまりにも馬鹿げたことだと思いませんか。ここまで学校が政府に忖度するのはまともな教育を冒涜し、子供の成長を阻害し、教育とは逆のことをしているとしか思えません。

 仮にこれを書いた子が、親の影響を受けて書いたのだとしても、子供本人が書いたものであれば、当然その子のその時の思いを書いた文章なのだから、その時のその子の記録として、その子の成長のためにも、そのまま載せるのがその子に対する思いやりでしょう。

 子供の表現力を摘み取ってしまうべきではありません。この子が将来どのように育つかはわかりません。しかし、現在の時点でのその子の考えを政治批判だと言って書き直させるのは、その子のためではなく、先生の方の上司や教育委員会などに対する忖度のため以外には考えられません。

 卒業時点での子供の思っていることを素直に書かせるのが卒業文集ではないでしょうか。後年振り返ってあの頃はこんなことを考えていたのだなあ思い出す懐かしい文集に先生が横槍を入れるべきではないでしょう。先生は生徒の心を思いやるべきでしょう。

 先生がここまで生徒のことより、上司や教育委員会のことを忖度して物事を進めるようでは、この国の教育もおしまいだなと思わざるを得ませんでした。この国は再びあの破滅しか待っていない、嫌な戦前の世界に戻ってしまうのでしょうか。