山で転ばず、街で転ぶ

 8月初めに立山に行って、室堂あたりの遊歩道ではあるが、結構アップダウンもある山道を2時間ぐらい歩いてきた。天気に恵まれ、久し振りの素晴らしい山の景色を満喫出来たが、歳が歳なので脚力も衰えているし、平衡感覚も鈍くなっており、足元もおぼつかなくなっているので、元気な人には先に行って貰うようにして、出来るだけ注意しながら慎重に歩いた。そのせいか、少し息切れがしたぐらいで、道や階段などでつまずくこともなく何とか無事に歩き終えた。

 ところが、それから2〜3日した後に、今度は友人宅で4〜五人が集まって「暑気払い」と称して宴会を開いて飲んだが、その帰途に、いつも通る池田駅の通路の階段で転倒して、顔に大きな傷を負い、救急車で病院に運ばれる羽目になってしまった。

 通い慣れた通路の階段なので油断したために、酔いで足元が振らついているのに、いつものように無防備に階段を降りたのが悪かったのであろうか。階段を降りる時には必ず手すりを持つことは知らず知らずに励行していたようだが、せっかちな性分から平素手すりに手をやりながら、走るように階段を駆け降りる癖があり、恐らく酔っていたところにそうしたために、足元がふらつき階段を踏み外したものであろう。

 手すりを持っていたので、階段を転げ落ちることは避けられたのだが、足を踏み外して下方に向かう力と手摺を持った左手の支持力とのバランスで、体が大きく左へ曲がり側壁に頭を正面からぶつけることになったものであろう。

 従って、手足はかすり傷ひとつしなかったが。額の真っ正面に裂傷が起こり、血が流れた。一瞬のことは覚えていないが、通りがかりの女性がびっくりして声をかけてくれ、「大丈夫だから」と言って立ち上がって帰ろうとしたが、女性が血を見てびっくりしたのか、「じっとしていて下さい」救急車を呼びますからと言ったので、そのアドバイスに従うことにした。女性は親切にも自宅にも連絡してくれた。

 全く有り難いことで感謝すべきであるが、こうなるともうその親切心に答えるよりない。やがて救急車が到着し、女房も駆けつけてきて、救急車で病院に運ばれ、傷の手当てを受け、頭部の CTまでとって帰されることとなった。

 額の上から瞼の直上まで頭の真っ正面に大きなガーゼが当てられ、鼻の上にももうひとつ小さなガーゼが貼られている。翌日鏡を見ると、両方の眼瞼も晴れているし、我ながら見られた顔ではない。急に大怪我をした実感がしてきて、家で1日何もせずにじっと寝ているより仕方なかった。

 とんだ災難であったが、酔っ払い老人が階段から落ちたというのは昔からよく聞く話で、恥ずかしい限り。これこそまさしく「自己責任」というもので、誰に文句の言いようもない。それでも、日頃から階段を降りる時には手すりを持つという習慣がついていただけに、酔っていたにも関わらず、それが守られていて階段を転げ落ちるようなことにならなかったのが、不幸中の幸いだったと言わねばならないだろう。

 階段から落ちて死んだ老人の話も聞いたし、自宅の階段で二階から転げ落ちて寝たきりになった友人も知っている。私の場合、これだけの傷で済んだことはありがたいと思わなければならないであろう。

 それにしても87歳で心筋梗塞にかかり、今度が階段での転倒。次は3度目のの正直でとうとうお陀仏ということのなるのであろうか。これを機会にもう少し年に合わせて行動の仕方に注意すべきだと反省する次第。

 電車が駅についても、真っ先に降りるようなことをせず、他人に先を譲って後から降り、駅の階段は手摺を持つことは当然として、一段一段確かめながら、もっとゆっくり降りること。平地でも、せっかちな歩き方を止めて、時間をかけ、人に追い越されても構わず、ゆっくりとしたペースで歩くなど、今更性格までは変えられないが、安全のためには少し訂正すべきであろう。

 もういつ死んでもおかしくない年齢ではあるが、出来ることなら不慮の事故などは避けれれば、避けたいものである。ただし、元気になったらどういうことになるかまだ分からない。