65年ぶりの立山

 立山は学生の頃、友達と初めて登った懐かしい山である。まだ戦後10年も経っていない頃で、まだ今のように登山がポピュラーな時代ではなく、従って登山道などの整備も進んでいなかった。

 その後 黒部ダムが出来て、その見学に何人かで行ったことがあるが、その時は黒部ダムの見学が主な目的だったので、鉄道やバスをを乗り継いで行った記憶はあるが、山道を殆ど歩きもしなかったので、山へ行ったという記憶は殆ど残っていない。

 そうすると、今回は学生時代の時以来の、実に65年振りの立山ということになる。尤も今回も、何せ九十歳の現在、山登りなどをしようという料簡で行った訳ではなく、今では簡単に行けるようになったので、センチメンタル・ジャーニーで、雄山の麓の室堂までバスで行って来ただけのことである。

 しかし、当然のことながら、60年以上も経てば、登山の事情も随分変わったものである。昔行った時には、まだケーブルなどなく、電車で立山の麓まで行き、そこから少し歩いて、八郎坂という急峻な坂道を2〜3時間もかけて登り、ようやく美女平から始まる高原地帯に辿り着いたものだった。

 どんな道だったかもうはっきりと覚えていないが、かなり急で険しい坂道を、随分時間をかけて、やっと上まで登りつめたという感じだけ今だに覚えている。途中で称名の滝という落差が300米以上もある滝を遠くに臨む事が出来た記憶もある。

 そこからまた随分歩いて、弥陀ヶ原を通って、室堂にあったヒュッテに一泊、翌日、早朝まだ暗いうちにに起きて、雄山の頂上の雄山神社まで登って、ご来光を仰いだものだった。富山から室堂に辿り着くだけで、丸一日かかったような気がしている。

 それが今は、富山の駅前からバスに乗れば、座ったままで室堂まで連れて行ってくれる。昔と今では雲泥の差があることを実感させられた。はじめは富山地鉄立山まで行き、そこからケーブルとバスを乗り継いで行かねばならないものとばかり思っていたが、たまたま富山の市電の中の広告で、直通バスのあることを知り、変更したものだった。乗り換えもなく、こんな楽なことはない。

 しかも、室堂に着いてまたびっくり。昔のかすかな記憶では小さなヒュッテがあっただけだったが、今やここは山岳バスの一大拠点の感があり、バスがたくさん止まっており、黒部ダムに向かうトンネルのトロリーバスの乗り継ぎ場所にもなっていて、乗り継ぎターミナルを兼ねたホテルもある立派な建物が建っている。それに中は都会並みの混雑であった。

 登山の途中から山にガスがかかり、室堂に着いた時には、目の前の立山連峰もすっかり雲の中で見えなかったが、幸い近くの旧火口湖のミクリガ池周辺を歩いているうちに霧が晴れ、青空の下に雄山も他の山もくっきりとその姿を現してくれ、山の景色を満喫させてくれた。

 ミクリガ池周辺から少し足を伸ばしてその周辺を歩いたが、そこでも驚いたのは、そこらの遊歩道は遠方まで全て石が埋め込まれ、両側には杭も打たれ、しっかりした歩道になっているし、階段などもよく整備されていることであった。これでは都会の近郊のハイキングコース並みである。しかも思いの外そこを歩く人も多い。

 昔、我々の若かった頃にも槍ヶ岳などアルプス銀座などという言葉もあったが、室堂あたりでも、夏の観光シーズンであるとはいえ、昔では考えられない人出である。しかも、見ていて面白いのは色々な人達が来ていることである。本格的な登山客のほか、旅行会社のバッチをつけた団体客、雷鳥観察などのグループ、個人旅行客など、いろいろで、それぞれに着ている服装や装備も違っている。子供連れも多いし、何より目立つのはこんな所までも外国人が多くなったことである。

 もう室堂から先、雄山の頂上でも目指すのでなければ、最早登山ではなく山のハイキングといった感じである。65年も経てばすっかり変わるのが当然であろうが、あまりの変容に、昔と同じところへ行って来たという印象も薄い。しかし、天気に恵まれ、山の景色も満喫出来たし十分満足な一日となった。ただ、称名滝は遠くから眺めて確かめられたが、八郎坂がどこらになるのかは帰ってGoogleで調べてみるまで分からなかった。

  やはり山は良いものである。景色が素晴らしいだけでなく、都会では味合えない天国に来たような清々しさがある。