水道民営化の危険性

 日本の水道は高度成長時代に整備されたものが多いので、最近は設備の老朽化が進み、先日の北大阪の地震でも水道管の破裂が問題になったりしたが、広範に設備の更新を進めなければならない時期に来ているのだそうである。

 ところが水道は原則として市町村が経営して来ているので、自治体の規模によって、小規模の簡易水道から、大規模なものまでその事業体の規模もまちまちであるところに、最近は人口減少による料金収入減で、原価割れになり、水道料金の値上げが強いられているところが多いそうである。

 そんなことも関係して、今の時流に乗っ取ってか、あまり人々の関心を引かないうちに、最近水道の民営化が大した議論もないままに進められようとしている。すでに衆議院を通過した後、参議院で時間切れとなり継続審議になっている由である。

 大して問題もないのではないかと思われるかも知れないが、水は生存に欠かせない最も基本的なライフラインであり、人がそれなしに生きていけない「社会的共通資本」である。その値上げは直接国民生活に影響するもので、その確保は国民の最も基本的な権利である。これこそ採算が合わなくても国なり、自治体が税金を使ってやらなければならない責務である。

 私企業は採算の合わない事業を続ける事は出来ない。これまでの世界の経験を見ても、水道の民営化によってフイリピンの首都マニラでは、水道料金が5倍になり、南米のボリビアでは、飲み水の高騰や水質の悪化に対する不満が大規模な暴動に発展した。またフランスのパリでは1985年に民営化した結果2009年までに水道料金が265%も上昇し、再び公営に戻しているし、アメリカのアトランタ市やドイツのベルリンでも民営化で問題が起き再公営化している。

 一番ひどいのは南アフリカでは民営化による水道料金の高騰で貧困家庭では収入の30%以上の支払いを強いられ、一千万人以上の人たちが水道を止められ、汚染された川の水を組んで、コレラが蔓延した事件である。それにもかかわらず、水道会社はその間何もしなかったといわれる。

 世界の民営水道市場は、下水道も含め「水メジャー」と言われる三代資本による寡占状態で、これらが関与していることが多いようであるが、日本では自民党が以前から水道民営化をめざしてきたようで、2013年に麻生太郎氏はアメリカのシンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)で行われ た講演で、「水道の民営化」を目指すと断言しているのである。民営化といっても、「コンセッション方式」とかいって、自治体が水道事業の認可と施設の所有権を持ったまま、事業の運営権を民間企業に委ねるのだそうである。

 日本でも、やって見て悪ければ、また元へ戻せば良いという意見もあろうが、TPPなどの?通商関係の国際条約で、事業への参入の落札から外国資本を排除出来ないし、一旦外国企業が経営権を握れば、それを元に戻す事も国が自由に出来ないことになっていると言われる。

 そうだとすると、国民の生存にとって最も基本的な水の確保を、採算の面から、安易に民営化することは国民生活にとって極めて危険を伴うものと考えなければならないであろう。広範な議論もないまま、このような法案を国会が通すべきではない。本来国民の生存の基本を守るために国や自治体は存在するものである。

 鉄道や空港などの民営化とは違う。空気と共にに生存に不可欠な水の確保は、経済的な損得を超えた、国や自治体の基本的な義務であることを知るべきである。

 メデイアの報道も少ないので一般の関心も今ひとつの感があるが、これはやがて国民の生活に大きな影響を与える社会問題になる恐れがある。改正案には民間企業の運営に対するチェック機能の定めもないそうである。

 水道事業の赤字対策としては隣接自治体との事業統合などの工夫も必要であろうが、安易な民営化には、しっかりと事態を認識して水という「社会的共通資本」は投資の対象としてでなく、生存の基本条件として、あくまでも社会で守っていかねばならないのではなかろうか。

(この水道民営化の危険性については早くに書いていたので、その後、テレビなどでも特集的な解説などがあったようだが、夏休みによるblogの穴埋めに、ここに載せておくことにしたもの)