卒寿

 この7月24日で丁度満90歳になった。卒寿というのは数え年で言うからもう既に昨年の正月に済ましている。何れにしても、ようここまで生きてきたものである。後は天命に委ねるばかりである。

 こう暑い日が続くと、流石にバテ気味ではあるものの、この年になっても、特段どこが悪いという大きな欠陥もなく、何とか元気で普通に日常生活が送れているのだから有難いものである。

 老人といえば、普通還暦を過ぎた60歳代からとされることが多いが、私も病院を辞めて、産業医として勤めるようになり、入院患者を抱えていないと気分的にこんなに楽なものかと思ったことを思い出す。 

 実際に責任も仕事の負担も急に軽くなった上に、体は元気だし、時間も出来たので、国内のあちこちばかりでなく、海外旅行にも行けたし、映画を見たり、音楽会に行ったり、画廊や美術館巡りをしたり、写真や絵のクラブに入ったりと、フルに時間を活用して、仕事以外にも色々と楽しむことが出来たと言えるであろう。

 やがて70歳で古希ということになったが、今では古代稀なものではなく、いくらでもいるもので、まだ元気はあるし、60代の時と同じように動き回っていた。しかし、昔から言うように年には勝てない。知らず識らず余力が減っていくのがこの時代である。どこかに旅行した時に、同行した老人が「60代と70代では疲れが違うものですよ。せいぜい60代のうちに旅行しておきなさい」と忠告してくれたことを思い出す。

 70代も後半となり、後期高齢者の仲間に入るようになると、知らず識らずのうちに足腰が弱くなるのか、何でもないところで転倒するようなことが起こるようになってきた。そのためという訳でははないが、満80歳でフルタイムの会社の産業医もやめた。

 その後も、パートの産業医は続けていたが、朝から出勤することがなくなり、朝の時間が出來たので、その頃から毎朝テレビ体操をすることにした。二〜三年後からは腕立て伏せその他の自分流の筋力運動も加えた。そのおかげか、何年か経つと不思議なぐらい転倒しなくなったことに気がついた。

 80歳を過ぎると、もう同級生のクラス会などは世話をするのが大変なこともあり、次第になくなっていき、小人数の仲間の集まりになっていく。別れる時に「また生きていたらな」という挨拶が交わされるのもこの頃からで、実際にも、仲間が一人減り二人減りしていく。そして85歳も過ぎると、毎年確実に人数が減り、同窓会も解散したり、残ったものだけの個人的な付き合いになってしまう。

 そして、87歳で、私自身が心筋梗塞で入院し、ステントを入れられる羽目になり、迷惑をかけてはいけないので、それを機にパートの仕事も止めることにした。ただ、幸いなことに入院したおかげで色々詳しく検査してもらい、他にどこも悪いところが見つからなかったので、かえって安心し、退院後は徐々にまた普通の生活に戻り、要望に応えて少しばかり仕事もするようになった。

 やがて、米寿の祝いを済ませて、いよいよ90歳である。70代、80代ぐらいの時には若く見られる方が自慢で、若くサバを読んだこともあったが、90歳になるとむしろ90でも元気なのが自慢で、逆に実際以上に年齢をサバを読みたくなることもある。

 ただ90になると、昔の友人の多くはもうこの世におらず、仲間内の気のおけない会合なども減り、寂しくなる。残り少なくなった友人たちとの電話での話も「あっちが悪い。こっちが悪い」といったようなことばかりになる。お互いに小さな不具合はいくらでもあるので、事情もよく分かるので、同病相哀れむことになる。

 自分自身も、いくらまだ元気だと言っても、山登りのような過激なことは無理だし、外国旅行は長時間の空の旅がしんどいし、国内旅行でも日程が長いものは避けるようにしている。流石に70代の頃のようなわけにはいかない。じっとしていても、この頃のような異常気象が続くと昔よりこたえる。早寝早起きで、夜の遅くなる会合は避けたくなる。

 それでも普通に動け、誰の助けを借りなくても、一人で人並みの生活が出來ることは有難いと思わなければならないであろう。その上、女房が元気でいてくれることが何よりである。朝起きてパソコンを立ち上げ、メールやFBを見て、体操をした後、朝飯を済ませるのが決まった日課。後は仕事に行ったり、趣味や興味で出かけたりで、いろいろであるが、あまりじっとはしていない。

 今は、周りに感謝しながら、あまり無理はしないで、出来るだけこれまで通りに運動や趣味は続け、女房を大事にして、好きなように生活していくのが良いのではないかと思っている。