約束を忘れる

 若い時には他人との約束や、仕事のスケジュールなどは、少々多くても、一旦覚えてしまえばあまり忘れることはない。頭の中の記憶はなかなか保たれるものである。

 しかし歳を取ってくるにしたがって、何やかやと責任が重くなり、約束や予定も多く複雑になってくると、記憶は確かだと思っていても、約束事は必ず手帳にでも書いておいて、朝にでも必ず手帖を見て、その日の予定をチェックしなければならないことになる。それでも、仕事の上では落ち度がなくても、私的で些細なことなどはつい失念してしまい、女房や子供に怒られたりすることになりがちである。

 ところがもっと歳を取って、仕事から離れて隠居生活,するようになると、複雑な約束は減り責任も軽くなり、家にいることが多くなるので、何か約束などをして手帳に書いておいても、現役時代のように毎日出かける習慣がなくなると、決まって手帳を見る習慣も途絶え、せっかく手帳に書いてあっても、手帳を見ないために約束を忘れてしまうことが起こる。

 年齢と手帳の関係は、

  青年期は手帳がなくても頭が覚えている

  壮年期は手帳を見て確かめる

  老年期は手帳に書いてあっても見ないので忘れる。

ということになるようである。

 我々のような老年期になると、何かの会合で、案内の返事には出席となっているのに遂に現れない人が時に見られようになる。認知症でなくても、約束の日を記録するのを忘れることもあるし、記録していても決まって記録を見る習慣がなくなっているので、気がついたらもう約束の時間や日が過ぎてしまっていたということも起こるようである。

 悪気がないのだから非難しても始まらない。老人はこういうものだと初めから思って対処するのが老人のやり方だと考えなければならないし、それに合うように対処すべきなのであろう。

 そんなことを言っていたら、私が先日、ある人と会う約束をすっかり忘れていたことを相手からの電話で知らされて慌てた。これまで約束を忘れたことは皆無だったのでショックだったが、大して重要なことではなかったので助かったが、この失策は後まで尾を引いて自分を苦しめた。

 今でも時に仕事もしているので、毎週月曜日の朝には必ず手帖を開いて予定を確かめる習慣はついているのだが、その約束が月曜日の朝であり、その週の前半は特に何も大事な約束がないという意識が頭を占めていたので、その朝パソコンを見るのに気を取られていて、つい手帖を見るのが遅くなってしまっために約束に間に合わなかったのであった。

 歳をとると次第に日頃の緊張感が薄らぎ、手抜かりが増えてくるもののようである。まだ認知症にはなっていないと思うが、認知症認知症になっていないかどうかが自分でははっきり分からないところから始まってくるから、もう幾らか認知症が進んでいるのかも知れない。でももう少し成り行きを見ていくしか仕方がないであろう。