風呂おけ

 最近新聞を見ていたら面白いコラムが目についた。『「風呂おけ、貸します」とある店がサービスを始めたが、皆さんはどんな物を思い浮かべますか?』とあった。

「風呂おけ」と聞けば、私などは先ずは昔よく家庭で使われていた木で作られた桶の湯船を思い浮かべるので、湯船を貸しますって、一体どういうことかなと思ってしまいます。

 しかし、記事ではサッカーで優勝した選手らが会場に優勝シャーレがなかったので、代わりに木製の洗面器を掲げたとかで、写真の説明には「風呂おけ」と書いてあったそうである。

 私などのこれまでの言葉の使い方では、「風呂おけ」とは湯船すなわち浴槽のことであるが、記事でいう「風呂おけ」は湯桶と言ったり手桶といったものをさしているようで、これで「風呂おけ」貸し出しますの意味がわかった。

 新聞の記事にもあったが、古くからの風呂桶店の主人も風呂桶といえば浴槽の意味で使っているそうだし、我々ぐらいの年配の人の多くは同じような使い方をしているのではなかろうか。

 ただし、広辞苑によると、湯船として使う桶と、風呂場で用いる小さな桶と二つの意味を載せているようだし、五つ六つしか歳の変わらぬ女房も手桶を風呂桶と言うので、昔から両者はあまり厳密に区別されないまま両方の意味で使われてきたものかも知れない。

 ところでこの記事でもう一つ気になったのは洗面器という言葉である。どうも最近どこでも広く使われているプラスチック製の手桶のようなものを洗面器と言っているようだが、手桶や湯桶で顔を洗うことはないので、本来は洗面器とは言わない。

 洗面器は我々の子供の頃は、どこでも広く使われていたもので、ブリキのような金属製か、プラスチック製で、木製のものは知らない。大抵は朝顔型で底より上が大きく広がった円形をしており、そこに水やお湯を貯めて両手で掬って顔を洗うのに適した形をしていた。それが本来の洗面器である。

 洗面器については昔聞いた思い出話がある。顔を洗うのに両掌にお湯を掬って受けて、そこに顔をつけて洗うのだが、日本人は手を動かして顔を洗うが、中国人は手を動かさないで顔を動かして顔を洗うという仕草の違いがあるそうである。昔、日本のスパイが中国でこの動作の違いからバレて捕まったという話であった。

 ところが、最近はどこでも蛇口から直接お湯が出るようになったせいか、お湯をためて顔を洗う習慣がなくなったためか、この形の昔からの洗面器がなくなり、昔の手桶とか湯桶に似せて作られたプラスチックの器が洗面器と言われるようになっているようである。円形だが底と上の径がそれ程変わらない。これで顔を洗う人は少ないだろうし、顔は洗いにくい。

 それでもこの手桶、すなわち「風呂おけ」が洗面器と言われているようで、インターネットで調べて見ても「風呂おけ」の画像検索をするとプラスチックの手桶ならぬ今様洗面器が沢山出てくる。

 世の中の人々の生活が変わり、日頃使う品物もそれに伴って変わるのに伴って、物の呼び方も変化していく。もう今では本来の風呂桶の湯船はほとんど見かけなくなったし、昔顔を洗った洗面器もほとんど姿を消してしまった。それとともに風呂桶が洗面器と一緒になってしまったのを聞くと苦笑せざるを得ない。