「漏語症」

 つい最近のことである。家の近くを歩いていたら、向こうから来た自転車に乗ったおばさんが急に速度を落として近づき、こちらに向いて微笑むではないか。こちらは老眼で目が悪いものだから、てっきり知っている人かと思って反射的に挨拶しかけたが、よく見ると全く知らない人である。次いで、相手は何やら幼児語みたいな言葉で話しかけてくるではないか。

「あれー、これはどうなっているのか。陽気で少し頭のおかしくなった人ではなかろうか」と考えかけて、ふと後ろを振り返って見ると、それまで全く気がつかなかったが、すぐ私の後ろから犬の散歩をさせている人がついてきていたのだった。自転車のおばさんはその知り合いのようで、前を歩く私などは眼中になく、後ろの犬に話しかけているのであった。突然驚かされた一幕であった。

 それで思い出したのだが、こちらはまだ今のようにスマホやケイタイの殆どなかった時代のことである。道を歩いていると、前方の路上に立ち止まって一人で何か仕切りに喋っている人がいて、てっきり気が触れた人が独り言を言っているのかと驚かされたが、近づいてみると携帯電話で見えない相手と話しているところであった。今ではケイタイやスマホを耳にかざしながら一人で喋りながら通り過ぎたり、街角に立って一人で喋っている人も珍しくないが、当時は誰からも病人と見られたのではなかろうか。

 これらはいずれもこちらの思い違いだが、実際独り言を呟きながら行動している人もいる。ある時、電車の中で隣に座った男が何か喋るので、自分に話しかけて来たのかと思ったら、独り言で、黙って聞いていると、断続的に何やら意味のないこと、あること、言葉の断片をいつまでも口ずさみ続けていた。こうした電車の中や路上で一人でブツブツ言いながら行動している人も結構いるものである。

 こういう独り言は何も精神に異常のある場合にだけ出てくるものではなく、普通の人にでも時に見られる現象で、何か感情が高ぶった時などに、内心の叫びのようなものが外に飛び出してくるもののようである。私はこれを勝手に「漏語症」と呼んでいる。

 飛び出し方は色々で、誰にでも見られるのは、感激して「やったぞ!ばんざい!」だの、「畜生!」「しまった!」だの感嘆譜の付くようのもので、思わず口から飛び出して来るものである。しかし、それ程のものでなくとも、人と場合によっては、考え事をしているうちに感情が高ぶって来て、思わず心の中の声が外へ漏れるように口外してしまうことがある。

 どの程度の精神的な高揚で言葉が漏れやすいのかという閾値も人により場合より色々なようで、出て来る言葉も、感嘆符のつくようなものから、普通の言葉、意味不明のものまで様々である。

 電車の中で聞いた知的障害らしき人は世話になっている先生の名前なのか、しきりに先生の名前を口ずさんでいた。また、昔ある病院で一緒だった先生は始終口癖として「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」と小声で言いながら廊下を急いで歩いておられた。

 しかし一番多そうなものは、ゆったりしている時などに、自然に昔のことなどが走馬灯のように次々に色々思い出され、失敗したり、残念だったりした嫌な場面が巡って来た様な時に、思わずそれを後悔し、否定したくなってつい口から飛び出してくる意味不明な言葉などではなかろうか。

 温泉にゆっくり浸かっているような時に、居合わせた人の口から突然意味不明な呻き声にも似た小さな言葉が飛び出してきたのを何度か聞いたことがある。問いただした訳ではないので想像するよりないが、その背景にはきっとその人の深い歴史が隠されているのではないかと想像される。

 こんな意思に反して口から半ば意味不明な言葉が飛び出して来るのを「漏語症」としているのだが、実害が少ないのであまり誰も問題にしていないようだが、かなり普遍的に見られるもので、病気というよりむしろ生理的な現象とでも言った方がよいのではないかと思っている。