三重苦

 東日本大震災からもう7年が経つ。しかし、まだ何万という人たちが復興住宅で仮住まいを続けることを強いられ、復興のめども立たない。ただでさえ過疎地の衰退が言われて来た被災地の人口は元にまでは戻らず、将来の展望は明るくない。

 それにもかかわらず、政府や東電は原発の処理もまだなのに、20デシベルという緊急時の対応の基準で、住民を復帰させたり、自主的避難者への援助を打ち切るなど、まるでこの自体がなかったかのように、出来るだけ異常事態の早期終結ばかりを狙って、原発の事故をうやむやにし、被災者たちの困窮に付き添って対応しようとする姿勢が薄い。

 この災害は関東大震災にも比すべき巨大な自然災害であっただけでなく、それに原発事故という未だかって経験のない人災が加わったことが他の大災害とは異なる点である。被災者にとってはまさに「三重苦」とも言える悲惨な災難であったし、今尚終わってはいないのである。

 地震によって街も家も潰されて現在の生活を奪われた上に、津波によって全ての物が押し流され、人々が営々として築いてきたそれまでの生活基盤を跡形もなく消滅させ、過去を奪い去ってしまった。それだけでも大変なことなのに、今回は更にその上に、人災である原発事故が加わり、いつまでも残留放射線を残すことによって人々の未来の生活の場までを奪うことになってしまったのである。

 まさに過去から、現在、そして未来までもが全て一時に奪われてしまうというまさに「三重苦」を住民が負わせられたことが他の災害とは決定的に違う深刻な災害であったのである。それまで平和に静かに生きてられた102歳の被災者の方が自殺されたことが、人々の生活を襲った深い絶望の淵を象徴しているように思われる。

 自然災害に政府主導で進めて来た原発の事故という人災が加わっていることを忘れてはならない。震災から7年経っても汚染地帯へは帰れず、元の生活はまだまだ当分は戻ってこない。政府はこの「三重苦」を負わされた人たちの深い苦しみを受け止め、責任を痛感し、当たり前の政治的な決着を図ろうとせず、個々の被災者の心情にまで踏み入った対策を尽くし、最後まで真摯に向き合うべきである。

 この原発事故に関しては、この際付け加えておくならば、震災より以前から原発の危険性が議会でも取り上げられ、多くの原発建設反対の声もあったのに、それを抑えて原発開発を進めた結果に起こったこの原発事故であること。

 安倍首相がオリンピック招致の時に「完全にアンダーコントロール」と言ったように、政府はこの事故がまるでなかったかのように早く済ませてしまおうという態度で臨んできたこと。人災と認めらえたにも関わらず、責任者の追求もされず、東京電力もそのまま残っていること。

 事故の補償を加害者が国とともに決め、補償金を電力料金に上乗せして国民の税金で補償を行っていること。破壊された原発の処理さえまだ済まないのに、電力総需要の20%高を原子力に依存するという将来像を先に決めて、それに合わせて原発の再稼働を認めていっている現状など、問題は多く、どう見てもまともな進め方とは思えない。