戦争を知らない若者たちへ

 このところしばらく音沙汰がないが、今年は北朝鮮の核実験やミサイルの発射が続き、それに対する国連の制裁が強化され、アメリカは今なお「軍事的な対応を含めて全ての選択肢がある」と言い、原子力空母や爆撃意を使って脅し、安倍首相がそれに乗って、「話し合いは解決にはならない、もっと強い圧力を」と叫び、選挙にまで「国難突破」と言って危機を煽り、それを利用してアメリカに言われるままの武器を買い、軍備増強にいとまがない。

 こうした状況下で、SNSなどにも色々な書き込みがあるが、それらの中には若者からのものであろうか、「アメリカがいつ北朝鮮に攻撃を始めるのか」「壊滅させろ」「戦争はいつ始まるのか」と言うよな無責任な書き込みが結構見られる。私たちが若かった時にも、戦争中ではあったが、敵陣突破、敵殲滅のニュースを聞いてやった!やっちまえ!と言った無責任な景気の良いことを言ったりしたものなので、若い人の無責任な発言をみだりに止める権利はないが、戦争の実態を知らないからそんなことが気安く言えるだけで、戦争とはそんなことを簡単に言えるような代物ではないことを知って欲しいものである。

 戦後七十年以上も経つと、現代の若者の親の代も最早戦争を知らない世代となり、あれだけ悲惨な思いをし、「二度と戦争だけはするまい」と殆どの人が思った戦後の誓いも次第に影が薄くなり、ほとんど伝えられえなくなって来た時代になっているような気がする。明治の初めから日米戦争が始まるまでと、戦後から今日までとがほぼ同じ長さになってしまった現在を考えると、我々が苦しんだ戦中、戦後の時代も、今の若者にとっては、私たちが若かった時に明治維新を振り返ったのと似たような感じなのであろう。

 東日本大震災津波が起こった時、三陸海岸の山手には過去の津波の苦い経験から「此処より下には家を建てるな」と刻まれて石碑があったそうだが、いつしか無視されて日常生活の便利さから海岸近くに街が発達し、今回の津波の悲劇を繰り返したと言われたが、どんな苦しい経験の言い伝えもせいぜい直接声の届く子か孫ぐらいまでしか言い伝えられないものであろうか。

 戦争がいかに悲惨なものであるかは、言葉だけではなかなか伝わりにくいもののようである。戦死とされたものの半数以上の人の死因が餓死だったことや、空襲で家族を失い、親を亡くして孤児になってしまった子もおり、国中が焼け野が原になったこと。食べるものがなく栄養失調になり、餓死する人も多かったなど、経験したことのない者には理解しにくいことかもしれない。

 最近の新聞の声欄に空襲で父を亡くし、無職の母が五人の子供を育てなければならなかった話が載っていたし、戦地での戦の実態についてはフイリピンのレイテ島の激戦に参加した大岡昇平の「野火」の普通にはありえないような日常を読めとする声も載っていた。こうした情報からも是非当時の人たちの思いを汲み取って欲しいものである。

 何より今の若い人たちに知ってもらいたいのは、勝とうが負けようが、戦争は決してカッコ良いものではないどころか、言わば、飯も食わず、水も飲まず、寝ることも休むことも許されないで、一日中泥水に浸かりながら、しかも、いつ敵に殺されるかわからない恐怖に耐えながら、果てしもない行軍を続けるような過酷なものとでも言えるであろうか。直接砲弾に晒されるのも怖いが、食う物がなくて飢え死にするのも耐え難いことである。

 こうした試練に耐えられるものは当然若者である。従って戦争になれば、直接戦争に駆り出されるのは若者である。しかも権力に伝手のない貧しいものがより犠牲になる。しかも今の日本では、国のためと思っても、実際はアメリカの命令によって戦わされる仕組みになっていることも知っておくべきであろう。あるいは大量破壊兵器が発達している現代では、それらによって瞬く間に殺されてしまうかも知れない。

 いかなる口実でも、戦争は絶対してはならない。戦かわなければならないのは、敵が実際にわが町に攻めて来た時だけである。家族や愛する人のために戦うのは当然であろう。しかし国のためと言われたり、そう思ったとしても、海外へ出て行って戦うことは絶対にしてはならない。国のためと言われても、それはその国への侵略行為に加担することになるからである。

 権力者は自分の利害関係から若者に対して愛国だとか正義だとかを振り回して、若者を洗脳し、将棋の駒のごとく利用しようとするが、それに欺かれてはならない。国と故郷とは異なることも知っておいて欲しいものである。国は国家という権力であり、故郷は家族を含めた生活である。守るべきは故郷であり日々の生活であって、国ではない。国は国家権力を守っても、決して国民を守るものではない。外国や国家権力のために戦うほど惨めなことはない。

 私らの世代はやがて死に絶える。この世は生きている人のためのものであるから、いかに生きるかは生きている者の判断でするのが当然である。ただ先人たちが津波などの災害の教訓を子孫に伝えたいと思ったのと同様に、私たちの世代の悲劇を二度と繰り返して欲しくないと願うばかりである。

 今度戦争が起これば悲惨さは前回よりも倍増する。人類滅亡にもつながりかねない。いかなる正義も悪も意味がなくなる。勝っても負けても、誰も生き残れるかどうかわからない。そんな馬鹿げたことは絶対にすべきではない。

 実際に故郷へ敵が攻め込んで来ない限り、絶対に戦争はしてはならないことだけは覚えていて欲しいものである。