官僚のやり方

 官僚は本来は政治家の方針に従って法を執行する役割を担うものであるが、今のように組織が大きくなると、政府からもある程度独立して自分の組織を守り、自分の組織の権益の拡大を図るようになるものである。

 昔国立病院にいた時、厚生省の官僚などと会議などで話す機会があった頃、官僚たちは自分らの省ことを「我が社」と呼んでいるのを聞いてびっくりしたことがあるが、役人の意識はおそらく今でもさしては変わっていないのではなかろうか。

 政治家の思惑や自分らの利害を考えて法律の条文をいかに解釈して読みこなすかが官僚の大事な仕事なのである。どんなに書かれた法律でも、文章の解釈には幅があるものである。その幅をどこまで広げ例外的な事象をもどこまで適応させられるかが官僚の腕の見せ所なのである。

 その結果が、憲法で軍隊を持たないことになっているこの国が世界的にも巨大な軍備を備えた軍隊を持ち、外国に攻撃に打って出ることの出来る航空母艦やミサイルさえ持つことが可能になるのである。

 そんな大きなことでも出来るのだからもっと些細な問題になると、政府の意向なり、自分たちの利害関係によって、法律も極端と言えるほどまで傍曲して読まれることがあるものである。正しい法律の適用を考えるよりも政府の方針を忖度したり、自分たちの利害から他の省庁などとの連携などが先にあり、それに法の運用をいかに合わせるかが考えられることになるのである。

 クリスマスの日の新聞に水俣病の認定をめぐる環境相と不服審査会の馴れ合い合意についての記事が出ていたが、それを見ても官僚の対応の仕方が興味深い。チッソの会社の破綻から補償を熊本県が肩代わりすることになったが、県が認定申請を棄却した人が不服審査会に訴え、最高裁が認定できると判断を覆したことが起こり、熊本県は認定業務を国に返上すると言い出したことがあった。

 そこで環境省が乗り出して、本来独立しているべき不服審査会と話を通じ、認定基準を一致させて厳格化し、県に認定作業を引き続きしてもらうとともに、補償費用をも抑えようとした由である。

 被害者救済よりも補償費を抑え、業務を県に引き受けさせるという自分たちの目的を優先させるためには、司法の判断に対してさえ反対して、不法に不服審査会に働きかけていたことは如何にも官僚のやりそうなことである。

 これは決して例外的な事象ではない。これを見ても国民へのサービスなどより政府の方針や自分たちの組織のあり方が優先する官僚組織の基本的な態度がはっきりと分かるというものである。