今年はどんな年になるだろう

 今年はどんな年になるだろう。

 私は今年7月には満90歳になる。もういつ死んでもおかしくない年だから、どんな年になっても構わないようなものだけれど、世の中がどんな風に変わっていくのか想像したくなるのが人情であろう。

 予測は難しいが、世界の大きな動きを見れば、一見世界の経済はなお堅調のようにも見えるが、矛盾も次第に高まり、行き詰まった金融資本主義は低金利政策などの人意的な操作で表面的には良く見えても、絶えずバブル崩壊の危険をはらんでいるし、際限のない格差の拡大が何をもたらすかわからない。

 それに、これまで資本主義の中枢機能を担ってきた米国の退潮が明らかになっており、変わって中国がすでに生産においても、消費においても、米国を凌駕するようになってきているし、インドや、インドネシアその他のアジアの経済の発展が顕著になり、従来の世界のバランスが明らかに変わりつつあることも注目すべきであろう。

 そういう中で日本ではますます少子高齢化が進み、人口減少が当分は止まらず、人手不足による国内市場の縮小などが避けられないのに、移民の受け入れには反対が多く、高度成長の夢が忘れられないのか、政策はそれにこだわりすぎている。人々の生活態度も変わり多様化してきたし、日本人自体が外国人の両親や片親からの出生が多くなり変化していっている。もはや高度成長の時代が蘇るはずがない。

 そういった将来への展望のなさから、大日本帝国へのノスタルジアを感じる人達が生まれ、嫌中、嫌韓などの右翼傾向を助長するようにになっている。この風潮に乗った安倍政権が、最近は天佑ともいうべき北朝鮮問題をフルに利用して、米国への従属を強め軍国拡張に走り、議会の多数を頼って憲法改正にいよいよ踏み出そうとしていうのが現状であろう。

 今年は明治維新150年に当たるし、天皇の交代もあるので、それらがフルに利用されることであろう。メディアに対する影の圧力もますます強くなるであろうし、未だに残る村社会の集団主義思考の忖度による陰鬱な言論抑圧も進むであろう。

 安倍政権に対する支持率や選挙の結果などを見ても、国民の底辺に今なお民主主義を守り、平和憲法を維持しようとする底流があることも確かであるが、それが流れを変えるまでの力になるかどうかは何とも言えない。見通しは決して明るくない。次第に戦前のような世相を肌で感じることが増えてきているような気もする。

 AIやAoTなどの進歩による生活環境の変化も徐々に進むであろうし、今年あたりはビットコインなどによる金融の撹乱が起こるかもしれない。ひょっとして大地震や他の天災が襲ってくる可能性もゼロではない。それに北朝鮮の問題がどうなるのかも気がかりである。何としても戦争だけは避けてもらわないと全てが崩壊してしまうことになる。

 こう見てくると、何が起こるかわからないが、あまり今年に期待はできそうにない。せめて身近なことだけでもうまく運んでくれたらと望むぐらいのところであろうか。