座敷牢

 最近の新聞によれば、大阪で、精神病を発症した娘を十数年にわたって自宅に作った二畳ほどの部屋に閉じ込め、外から施錠し、外界から全く隔離し、長年に亘り次第に衰弱して死亡した後も、死体をそのまま何日か放置した後に自首したという事件があった。

 新聞では親でありながら娘を監禁して死なせた凶悪犯行のような書き方であったが、私はすぐに昔の座敷牢を思い出した。寝屋川署の調べに両容疑者は「長女には精神疾患があり、十数年前から自宅の一室に隔離していた」と供述。娘が隔離されていた2畳ほどの部屋には布団と簡易トイレがあり、外から施錠するようになっていた。18日朝、両容疑者が布団の中で動かなくなっている長女に気づき、23日未明に、署に自首して発覚したということである。  

 今頃の人はあまりご存じないかしれないが、昔は座敷牢というものがあって、家族に精神病者などで暴れたりして周辺に迷惑をかけたりするような場合、親は世間に対して申し訳がないし、親に責任があると考えられていたので、自分らでは処理仕切れないような時には自宅に座敷牢を作って世間から全く隔離するようなことが広く行われていたのである。このケースはまさに現代版の座敷牢と言える。

 自首後の警察の調べに対して、「気持ちの整理がつかなかったので隠した。娘には精神疾患があり、外に逃げたり、暴れたりしないように、日常的に2畳ほどの部屋に閉じ込めていた」と供述している由である。

 確かにこれは犯罪に違いないが、昔のいわゆる「むら社会」の観念に囚われた親が娘の精神病を恥じ、世間にも申し訳ないと思い、必死になって座敷牢に閉じ込め、なんとかして世間から知られないようにと必死になって秘密を守り閉じ込め続けてきたのではなかろうか。

 昔なら当然のことであって、親の責任で周辺の社会に迷惑をかけずに処理することが求められたことなので、親は娘を哀れと思いながらも、親の責任として必死になって世間の目に触れないように長年にわたって努力し続けて来たものであろう。

 外に漏れないように幾つも監視カメラをつけたりしていたことがそれを裏付けているようだし、死後も状況の変化についていけず、途方に暮れて肢体をそのままにしていたのではなかろうか。

 精神病を発症したもっと早い段階で周囲が気付き、援助の手を差し伸べていたら娘を閉じ込めなくても、治療のレールに乗せる方法があったはずなのに、このような犯罪の方向にしか行きようがなかったのには家族だけでなく、社会にも責任があるのではなかろうか。

 今なお子供の人権が守られず、精神病が家族にとって恥ずべきことと考えられ、親が社会に面目ないと責任を感じ、世間から完全に知られないように、あくまで秘密に処理したいという家族の思いから発した出来事で、本人や家族からの申し出でもなければ、こういった家族の困難に対応し難い地域社会のあり方が、未だにこういうケースを生み出す下地になっていることを感じさせられる事件である。

 詳しいことがわからないので、的を外れている恐れなしとしないが、私の受けた印象は未だに残る古い社会の因習から抜け出せなかった悲劇ではなかろうかというものである。