杖ではなくてステッキ

 歳をとって足腰が弱くなり、転倒するようなことが起こっても杖を持ちたがらない老人が多い。そんな人のために折りたたみ式の杖があり、デパートのステッキ売り場の店員さんが「これがよく売れるんです」と言っていた。杖を嫌がる人は格好が悪いというが、どっちみち老いの外観はごまかせないし、路上で転んだりすれば、その方がよほど格好が悪いではなかろうか。

 自分の歳は素直に受け入れて、むしろ早めに杖を持つべきだとお勧めする。昔から「初め四つ足で、次に二本足になり、最後には三本足になるのは何か」という頓知話もあったぐらいで、老人が杖をつくのは当然の権利だと考えた方が良い。杖と思わずステッキと思えばむしろ格好も良い。私の子供の頃のイギリスの首相にチェンバレンという人がいたが、彼はいつもステッキを愛用していた。ステッキは一頃のダンディなイギリス貴族の必須のおしゃれ用品であったのである。それを知らなくても、チャップリンがステッキを愛用していたことは今でも知っている人も多いのではなかろうか。

 私はまだ現役の頃、ある時足をくじいて一週間ぐらい杖が必要になったことがあり、その時、デパートで一番軽いからといって勧められた楓の木のステッキを購入したので、足が治ってからも歳をとったらいつかまた使えるだろうと思いとっておいた。

案の定、80歳を超えると何かの拍子に転倒しやすくなり、折角ステッキがあることだからと、早い目にステッキを愛用するようになった。杖と思うから恥ずかしく思うのであってステッキだと思えばオシャレなのである。

ステッキは転倒防止に役立つだけでなく、ステッキでそれとなく歩調を取れるし、歩きやすくしてくれるようである。坂道などを上がる時にはステッキがあると楽である。これまで息切れがしていたところでもスイスイ上がれる感じさえする。二本足と三本足ではやはり違うようである。前に行く人を追い抜くことさえある。

ただ気をつけなければいけないのは、ステッキを持っているからと行ってあまり調子に乗ってはいけない。ステッキは自分の少し前方の外側につくものだから、同行者のいる時にはその反対方向に持たないと同行者の歩行の妨げになることがあることも知っておかねばならない。

またステッキを使う時には少しゆっくり歩くように心算りすべきである。ステッキで調子をとってあまり早く颯爽と歩くと自分の足がステッキに当たることもあるし、道端の溝などにステッキがはまり、転倒の原因にもなりかねない。また暗渠の蓋の隙間や思わぬ道路の穴にステッキの先がはまり込んでしまうことも起こりうる。

ステッキを使う時にはこう言った守るべきルールもあるが、ステッキを持っていると転倒防止などの以外にも色々都合の良いこともある。坂を登ったり、長道を歩いたりして少し立ち止まる時などにステッキをつくと体を支えてくれるし、例えば自分の写真を撮ってもらう時など手持ち無沙汰で手ぶらでただ突っ立っているより、ステッキでも持つとポーズが取りやすいし、格好も良い。

さらには、ステッキは老人のシンボルのようなものだから、ステッキを持っているとそれだけで他人はその人が老人であり弱者であることを認めてくれる。弥次喜多道中の光圀公の印籠のようなものにもなる。

したがって電車などで若者が席を譲ってくれることにもなりやすい。実際の私の経験でもステッキを持っている時といない時では電車で椅子を譲ってくれる割合が違うようである。

こう見てくると老人になれば、なるべか早くから恥ずかしがらずにステッキを持つことをお勧めする。まずは、老骨を支える杖ではなくて、ダンディな男の持ち物のステッキだと認識することである。ステッキのある生活は決して転倒防止のようなマイナスに備えるだけのものではなく、老人に歩く楽しさを増やし、安全も守ってくれる優れものなのである。