住宅地の中の小さな公園にて

 夏も終わり気持ちの良い日がやってきて、空もよく晴れていたので、女房にも助けてもらって、久しぶりに姉の入っている老人施設を訪れ、姉を車椅子に乗せて近くの公園へ連れ出した。

 住宅地の間を流れる小川を改修して周囲を公園にして、川に沿って遊歩道が続いている。所々には休憩室やプレイグランドなども作られている。その中をあちこち移動して、あちこちで休み休みしながら、公園の中を散策した。適当な場所で持参した弁当を開いて周囲を見ながらゆっくり食事をし、その後は公園のすぐ脇にある喫茶店に入ってコーヒーとケーキでゆっくり寛いだりして、楽しい時間を過ごした。

 夏も終わったとはいえ、まだ日向では汗ばむぐらいであったが、公園の樹木はそろそろ落葉も見られ、紅葉の兆しも感じられた。小さな公園でも家並みの続く市街地とは違い、リラックスした感じになれるし、また公園にに来ている人たちを観察するだけでも楽しいものである。

 ちょうど体育の日で休日だったので、Japan Walkという団体の大勢の人たちが皆黄色いシャツを着て公園の緑道を歩いて行くのに出会ったが、なんでも全国的な組織で、オリンピックやパラリンピックに出た選手と一緒の歩こうという会だそうで、老人から子供まで14キロの行程を歩くそうで、車椅子の人や盲導犬と一緒の人たちも見られた。 

 その一段が通り過ぎてしまうと、後は緑の木々に囲まれ時にそよ風も吹き、静かな郊外にでもいるような感じで落ち着いた感じであった。

 ベンチに座って、ゆっくり来ている人たちの姿をを見ていると、男親が小さな子供を連れて来ているケースが一番多かった。小さな子供が階段状になった遊具を一段ずつ登るが、怖くなったら父親に助けを求める姿も可愛かったし、おそらく父親が好きなので始めたのであろう、小さな女の子がなかなか上手にサッカーボールを裁く元気な姿も見られた。「上手だね」と褒めてやったら、父親の所に行って褒められたことを自慢して報告していた。他にブランコで遊ぶ親子や、自転車でやって着ていた男の子なども見た。

 ただ驚いたことは皆男親ばかりで、母親の姿を見なかったことである。休みの日であったこともあるのだろうが、最近はイクメンなどという言葉も流行るぐらいで、男親が結構子供の面倒を見るようになって来ていることを感じさせられた。時代がいつのまにか変わってしまっているようである。そういえば他所でも、最近はアベックで男の方が赤ん坊を抱いている姿を見ることも多くなった。

 そうなれば奥さんの方は家でどうしているのであろうか。最近は共稼ぎの家庭が多いので、あるいは休みの日に溜まった家事を片付けて、邪魔になる亭主と子供を体良く追い出して、亭主に子供の面倒を見させているのかも知れない。

 ただ見ていて面白いのは、それぞれの親子の組みが近くで一緒に遊んでいても皆別々で、お互いに会話を交わしたりすることがないことである。これが母親であればすぐに話が弾んで、子供も巻き込んで一緒に遊ぶのであろうが、男親ではそうはいかない所が違うように思われた。老人ホームなどで見ていても、女性はすぐにお互い打ち解けて仲間を作るが、男性は大抵孤独なのと似ている。

 こうした親子組みの他に、公園を利用しているもう一つの人たちは孤独な爺さんである。皆一人で自転車で来たり、歩いて来たりで、適当な所でベンチに座り、何をするでもなく、ただぼんやり休んでいたり、持って着た缶ビールを飲んだり、タバコを一服したり、少しだけ自己流のストレッチ体操をしたりして、しばらく休んでまたぶらぶらあてもなくあちこちさまよっている感じである。

 不思議なことに爺さんばかりで、婆さんも殆ど見なかった。老人の人口から言えば、爺さんより婆さんの方が多いはずだが、婆さんはどうしているのであろうか。婆さんが家で頑張っているので、会話もなく、何の役に立たない目障りの爺さんは追い出され、行くあてもなく、孤独な公園めぐりということになっているのであろうか。

 都会の中のオアシスのような静かな公園はこうして住居の貧弱なこの国で、家庭を追われた哀れな爺さん達が孤独を慰める避難所にもなっているようである。