元海軍兵瀧本邦慶の95年

 朝日新聞の朝刊に、最近表題の記事が連載されている。元海軍兵で、初戦の真珠湾攻撃やミッドウエイ海戦から、最後は戦争末期のトラック島の空襲や餓死寸前までの苦難にまで遭遇しながら運よく生還してきた人の少年時代から現在に至る一生の物語にその時々の感想を交えた聞き書きのようである。

 私よりは6〜7年先輩にあたるが、戦前戦後を通じて同じ時代を生きてきて、戦争のことも、海軍のことも経験を共有する部分もあって理解しやすく、その時代の雰囲気もわかるだけに興味深く読ませてもらった。

 戦争の実際を体験する中で、海軍の階級制度や種々の矛盾に気づきつつも、忠実に職務を果たし国家に奉仕した結果としての敗戦のショックは大きかったようである。そこで初めて気づいた世の中の大きな矛盾。国家や戦争の本質、利用され苦しめられた上で裏切られた怒り。この人も私はじめ多くの同時代の人たちと同じような大逆転とも言える時代の急変、それに伴う価値観の変動を経験をされているようである。

 戦争が決して国民のためのものでなく、戦争によって利益をうる一部の人によって大勢の人が国のためと騙されて危険な目にあい、安全な所にいる一部の人たちがそれによって大儲けをする仕組みに気づき、戦後ずっと戦争反対の立場を守り続けてこられたのが大筋である。

 その体験から、今も戦争には皆で声を上げて反対しなければならないことを強調されているが、現実には戦争経験者が少なくなり、戦争を知らない世代が政治を牛耳るようになってきたことに伴い、再び戦争のできる国にしようとする勢力が力をもたげてきていることに憂慮し、「最近の若者へ」という項では、「このままだと、第二次世界大戦を繰り返す可能性が高い。太平洋戦争のあの悲惨を、もう一度味わないと分からないのか。」と嘆いておられる。

 私も全く同感である。我々は嫌でもやがて死んでいく。しかし、今後生きていく人たちにはせっかく我々の世代が遭遇した悲惨な苦難の歴史をなんとかして繰り返して欲しくない気持ちでいっぱいである。実際に経験していない人たちは過去の栄光には喜んでも、苦難や破滅の歴史は理屈では理解できても情緒的には受け入れ難いものなのであろうか。

 稀にしか起こらない自然の大災害でさえ教訓の受け継がれるのは、実際に経験した者やせいぜいその子の代までで、それ以後にはせっかくの教訓も忘れられ、同じ誤ちを繰り返すことになるようである。東北の津波でも「此処より下には家をたてるな」と刻まれた先人の教えもあらかた無視されたようである。

 それと同様なのであろうか。我々にとっては絶対に忘れ難いものであるが、戦争による破滅の経験も、今となって戦争を知らない人たちにとっては、過去の歴史も都合の良いように改ざんされて美化され、誤った栄光を再び繰り返さんがためと、ふたたび破滅に繋がる危険な道にあえて踏み出さんとする人たちが力を持ちつつあるようである。

 ドイツは二度も世界大戦による破滅を経験しているが、日本も再び破滅に向かって進むことになるのであろうか。恐ろしいことである。