火遊びは危険

 ここ二、三日の新聞やSNSを見ていると、今にでも戦争が始まるのではないかのようなキナ臭ささえ感じる。

 ここ数年来の竹島尖閣諸島をめぐる対中、対韓の領土問題や、南シナ海東シナ海をめぐる対中関係、慰安婦問題に絡んで大使まで召喚した対韓関係の悪化などは意図的に煽られて来ている面が強いが、SNSなどの書き込みを見ていると最近は「ここまで言ううか」と思われるぐらいに嫌中、嫌韓の極端な発言が増えている。

 そういうところに、大統領にトランプ氏がなって以来、アメリカの政策も変わり、つい最近シリアの政府軍がサリンガスを使ったというのを口実に、アメリカがシリアの軍事基地に攻撃を加えたと思ったら、北朝鮮に対しても、核実験やミサイル発射を非難して、中国が動かなければアメリカが独自に動くとして、カール・ビンソンという原子力空母を中心とする艦隊を朝鮮半島の向けて出発させたりして、一気に地域の緊張感を増している。

 それにともなってSNSの書き込みなどを見ると、今にでも朝鮮半島で戦争が起こるのかのような気配さえ感じられる。先制攻撃を煽ったり、金正恩の斬首だとかの物騒な発言もあるし、韓国からの難民が日本へ押し寄せて来るのでその対策が必要だとか、自衛隊による在留邦人の救出作戦をすべきだとか勇ましい言葉が並んでいる。

 戦前、戦中にも同様なことがあったが、実際の戦争の怖さを知ってそんなことを言う人はいなくなった。ところが戦争を経験した人がいなくなって、戦争を知らない平和の時代に育ってきた人たちばかりになってくると、深く考えもしないでまたこうした勇ましいことを言う人が出てくるようである。

 自分が安全な国にいるから勝手なことも言えるが、言うまでもなく戦争は一瞬で決まるものではない。勝手も負けても共に深く傷つくものである。先制攻撃をすれば必ず報復攻撃を受けることになる。しかも今や戦争になれば武器も過去の戦争とは桁違いの破壊力である。核戦争ともなれば勝敗に関わらず共に全滅ということにもなりかねない。

 世界戦争でなく地域的な戦争であっても、どちらかが単純に「攻撃した、やっつけた、終わり」というわけに行くはずがない。日本に米軍の基地がある限り、朝鮮半島に戦争が起これば、かっての朝鮮戦争の時とは異なり、日本が戦禍を浴びないで済ますことはできない。かっての空襲による焼け野が原や飢餓よりもっとひどいことにもなりかねない。

 悲惨な戦禍を避け平和を維持するためには、ここは何としても話し合いによる解決しかありえないことを知るべきである。いくら嫌いな相手であっても、勇ましい発言は慎んで、いかに戦争を避け、平和に共存できる地味な道を真摯に追求するよりない。

 火遊びのような勇ましい言葉や言動は自分のところへ返ってくるものである。戦争では自分も家族も守れないことは先の大戦が大勢の先輩たちが無残な犠牲によって教えてくれた貴重な遺産であることを知ろう。