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今年の花見

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 毎年桜が咲くと春を実感させられる。戦後長らくの間は桜は戦争を思い出す切っ掛けとなり、桜並木を見ると隊列を組んだ兵隊が浮かび、「万朶の桜の花色・・・」と軍歌が聞こえ、花の宴の途中に幕の端から死んだ兵隊の亡霊が顔を出すような気がして、素直に桜の花を楽しめなかったものだが、最近になってようやくゆっくり桜を眺め、写真でも撮ろうかという気も起こるようになったきた。

 そうしたらもはや卒寿である。近頃は友人たちとの別れの挨拶も「生きていたらな」という言葉が交わされたりするようになった。桜の季節は毎年やってくるが、果たしていつまで見えることやらと思いながら今年の桜も愛でることになる。

 今年は気候の関係か、例年より少し遅くなったようであった。テレビの開花情報では東京は3月31日だったが、大阪は4月に入ってからだった。もちろん開花前線は毎年南から北へ上がって行くが、ここ何年かを見ていると、東京が早く大阪の方が遅れることが多いようである。面白いのは鹿児島が案外遅いのである。

 人の話の受け売りで自分で調べたわけではないので、どこまで本当かわからないが、東京は大都会のヒートアイランド現象で早いのだという人がいたし、桜は少し冷えた日があって、その後暖かくなると急に咲くのだそうで、鹿児島はずっと暖かいので冷えがなく開花が遅れるのだと説明してくれた人もいた。

 私の住んでいる池田の現状は、4月3日の月曜日に五月山の桜を見に言った時はまだほんのわずかの花が咲きかけているだけだったが、6日の木曜日に同じところへ行った時にはもう7〜8分も咲いていて、ほんの2〜3日でこうも急に一斉に咲くものだなあと驚かされたものであった。

 金曜日に姉を訪ねて駒川へ行った時の今川緑地の桜も見事で楽しめた。これならちょうど週末が見頃だろうと予想されたが、天気予報では週末から来週の初めにかけては雨とのこと。これでは今年の花見もこれまでかと思い、日曜日は朝から雨が降っていたので梅田へ映画を見に行ったが、午後は曇ってはいたが雨は止んでいた。

 せっかくの機会だからと思って、環状線桜ノ宮まで行って大川堤の桜並木を見に行くことにした。駅を降りた所から大勢の見物客で賑わい、桜も見事であった。大川の桜並木は毛馬の閘門から中之島公園までずっと川の両岸に続いているものである。

 満開の桜並木の遊歩道はどこまでも見物客でいっぱい。桜の下には青いビニールシートが所狭しと敷き詰められて、そこで大勢の人たちが車座になって食事などをしている。川面にも次々とお花見の観光船や水上バイクがやってきて大丈夫かなと気になるぐらいであった。

 どこにでも見られる昔からの日本の典型的なお花見風景である。しかし昼過ぎのせいもあってか、酔いつぶれた客や歌声がない。青いシートに集まった人たちも皆行儀よく食べたり喋ったりしているし、歩く人、立ち止まって桜の写真を撮っている人たちも楽しそうである。家族連れも多かった。

 しかし、そこで驚いたことは、歩いている人からも、座って食事をしている人からも、聞こえてくる言葉が中国語だったことである。桜の下の絶好の場所もほとんど中国人に占拠されているようであった。おそらく観光会社が中国人向けの花見旅行を計画して場所を抑えたものであろう。

 日本も国際化してきたものである。歩きながら行き交う人を観察していると、中国人以外にも欧米系の人もいるし、インド系、スカーフを巻いたインドネシアかマレーシア系、帰りの電車では出稼ぎに来ているベトナム人らしい若者の集団もいた。

 一見変わらないようでも、昔の花見とは知らないうちに随分変わって来ているようである。中国や韓国だけでなく、東南アジアや欧米からの観光客も多いようだし、少子高齢化が進み人手不足が深刻になるとともに出稼ぎにやってくる外国人も増えているのであろう。色々問題も起こるであろうが、もはやこの傾向は変えようがないのではなかろうか。

 単一民族だとか、戦前復帰だとかを望んでも時代を後戻りさせることはできない。元々、この島国の人は遅かれ早かれ、殆どの人たちは大陸から渡って来た人たちの後衛なのである。有名な聖徳太子ペルシャ系の血を引く茶髪の人だったとも言われている。

 今後もどんどん”渡来人”が増えた方が日本にとっても良いのではなかろうか。多民族国家の方が思わぬ知恵も生まれるもので、長い目で見れば、生物学的な人類の発展にも貢献するであろうし、新しい文化の生まれる可能性も高くなるのではなかろうか。この国の発展の契機ともなるのではなかろうか。

 花見もこれが最後のなるかもしれない私が見ることはできないであろうが、未来のこの国で、どんん人たちがどんな文化を築き、どんな社会に生きるのだろうかを空想してみると楽しくなる。そんなことを想像しながら今年の花見を楽しんだのであった。