関東大震災の思い出

 今は大震災の思い出といえばほとんど東日本大震災のことだが、私の子供の頃には大震災といえば関東大震災を指していたものであった。 

 現実に関東大震災が起こったのはまだ私が生まれる前のことだったが、その傷跡はまだあちこちに残っていた。ちょうど今、東日本大震災についていろいろ話されるように、何かにつけて大震災の恐ろしさなどがまだ話されていた。

 関東大震災が起こったのは1923年(大正11年)9月1日の正午頃だったそうだが、東日本大震災では津波原発事故が被害を大きくしたものであったが、関東大震災の時は今よりも東京は木の家が密集していたこともあり、地震に加えて火災による被害が大きかったようである。

 よく聞かされた話で今でもよく覚えていることは、浅草に煉瓦建ての浅草十二階という当時としては高いのが売りの建物が崩壊したことや、大勢の人が火事に追われて被服廠の跡の空き地に逃れていたが、そこまで火の手が廻り、熱風が吹き荒れて多くの人が焼死したことなどであった。 

 またこの大震災で関東の方から多くの人が関西方面に逃げてきて、こちらに住むようになったという話も聞かされたし、東海道線で東京へ行った時に、丹那トンネルを抜け熱海を通り過ぎると景色が変わり、昔ながらの瓦葺きの家が少なくなり、掘っ立て小屋のような軽い感じの家が多く見られるのは震災のためだと教えられた。

 それに忘れてならないのは、震災の混乱の中で、警防団員?などによる朝鮮人の虐殺があったということである。朝鮮人が火をつけたとかいう噂が飛び、そのために街角で朝鮮人と思しき者を警防団の人が呼び止めて朝鮮人とわかると棍棒で殴り殺したという無残な話を聞かされたことである。

 朝鮮語では濁音と半濁音の区別がつかないのでビール瓶などと言わせて、ピールピンとしか言えない者はそれだけで朝鮮人とみなされて災難にあったようである。中には日本人なのに発音が悪かったために朝鮮人と間違われて殺された者もいたと言う話であった。

 幸い今度の東日本震災ではそのようなことは起こらなかったが、昨今の  SNSなどによる中国や韓国の人たちに対する「ヘイト発言」などの広がりを見ていると、またいつ何時同じようなことが繰り返されはしないかと気にならないではない。

 東日本大震災以外にも、最近だけでも阪神淡路大地震もあったし、熊本の地震もあった。東南海大地震の恐れも強いと言われている。地震国と言われ、いつ何時また大きな地震に見舞われると限らないが、天変地異は運命を受け入れるよりない。災害に対する覚悟や準備はできる範囲では考えていても、予想の範囲に収まるとは限らない。基本的には成り行きに任せるよりないのではなかろうか。