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ひ孫

 先日同じ年の中学時代のクラスメートに会ったら、初めてのひ孫ができたと喜んでいた。もうお互いに卒寿になるのだからひ孫ができても決して不思議ではない。

 私は初孫が出来たのが遅く、六十六の時だからひ孫はまだいない。もう少し待たねばならないだろう。それまで生きているかどうかわからない。そういえば父も九十近くになって友人には皆ひ孫がいるのにうちにはひ孫がいないと嘆いていたが、母はひ孫誕生に間に合ったが、父は遂にひ孫を見ずに亡くなった。

 昔だったら八十歳ぐらいになればひ孫も珍しくなかったのであろうが、近頃はそうはいかない。最近は一般に晩婚となり、初めての子供ができるのが三十歳ぐらいとすれば、六十で孫の顔が見れ、九十歳でようやくひ孫が生まれるぐらいの年周りということになるのかも知れない。

 その上、近頃は子供の数が少ないのが普通なので、それだけひ孫に会える確率も少なくなることになる。今や九十歳になっても、昔のように子や孫、ひ孫たちにまで囲まれて大勢の家族たちと一緒に長寿を祝い、記念写真を撮るというような幸運に恵まれる人も少なくなってしまっている。いつだったか小学校時代のクラスメートが大勢の子や孫に囲まれた写真を自慢そうに見せていたのが思い出される。

 現に私など卒寿といっても子供は娘二人、孫三人、義理の息子まで全部入れても、家族全員で九人にしかならない。しかも女房以外は皆アメリカに住んでいるので、いつもは子や孫どころか女房と二人きりで、この国には子も孫も一人もいない。そういう世の中になったのだから仕方がない。

 もはや孫の時のようにひ孫の誕生を期待することはないが、孫が結婚でもすれば、あるいはまたひ孫の誕生が待ち遠しくなるのかも知れない。しかし、おそらく孫の時と違って赤ん坊は可愛いであろうが、孫ほどには接触する機会も少ないであろうし、生活する世界も離れているので、より客観的な存在として見ることになるのではなかろうか。

 私も子供の時に九十六歳だったかの母方の曽祖母に会ったことがあるが、話す時に開いた口に長い歯が二本だけ残っていたのが印象的で、祖母とは違って、何か異世界の人に会ったような感じがしたことを覚えている。会ったのはその時一回きりであった。

 ひ孫が生まれても曽祖父の側から見れば血の繋がった赤ん坊なので可愛いであろうが、特に私の場合、孫とは密接でも、その子となると、会う機会も少なくなるであろうし、言葉も十分には通じないであろうし、孫のような親しい密な関係は無理なのではなかろうか。

 ただ、それでも孫に次いでひ孫が生まれることは我が命が将来に向かって繋がっていくことであり、やっぱりいつかはひ孫が生まれて命を繋いでいってくれることを期待したいものである。