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おもてなし

 2020年のオリンピックを控えて、日本への観光客を4,000万人にまで増やそうと「おもてなし」という言葉が政府の主導の下で流行っている。

 そういう中で、朝日新聞の声欄に「親切な外国人を見習いたい」という見出しで、膝の悪い老人の投書が目についた。電車の中などで席を譲ってくれたのは中国人や欧米の人ばかりで、山手線で前に座っている人は全員目を瞑っていたし、明治神宮でも山道で振り返って気を使ったり声をかけたりしてくれたのは全て外国の方であった由である。

 投書者は「『おもてなし』の心でとよく言われるが、その前に日常的な思いやりや親切がまず大切ではないかと思う」と嘆いておられたが、オリンピックでの歓待については心配は要らないのではなかろうか。

 日本人はお客さんには親切だし、時には過剰な接待までしかねない。ただ決まったお客さんには親切だが、直接関係のない第三者にはこの投書者の言われるように冷たいのである。

 この国では未だに「むら社会」の伝統が続いており、まだ個人の確立が十分なされていないので、仲間内には親切だがよそ者には冷たいのである。よそ者でもお客さんと認めてもらえれば大事に扱われるが、そうでないよそ者は無視されるか、冷ややかに対応される。

 電車に乗っても仲間には席を確保したり譲ったり、大阪のおばちゃんなら飴を配ったり、仲間内では楽しく喋っていても隣の仲間以外の人に対しては無関心であるばかりか、迷惑さえ考えることが少ない。仲間同士では席も執拗なまでに譲り合うのに、赤の他人には優先座席であっても知らぬ顔をして譲ろうとしない人が多い。

 ビルの入り口の回転ドアなどでも、自分の仲間には開けて通るまで待っているのに、知らない人がすぐ後に続いて来ていても手を離して知らないまま行ってしまう。

 最近は少しづつは変わってきているが、農村社会の「むら社会」の伝統は最近まで「会社社会」に姿を変えて生き残り、都会でも牢固として続いてきたので、まだまだ残っている。「社会」より「世間」が重んじられることでもわかる。

 過疎地へ移り住んだ人の話でも、お客さんとして扱われていても、本当に「むら社会」の一員として認められるのは容易なことではなく、長い時間がかかるようである。

 外国人といってもいろいろであろうが、中国や韓国の人は儒教の影響が日本より強いので長幼の序で老人などに対しては礼儀深い。私のような老人は大事にしてもらえる。

 また、欧米人はいろいろな地方から集まった人たちなので、色々な人がいるのは当然だが、一般的には、初対面の人に対しては笑顔をかわして自分が友好的であることを示すのが普通の態度になので、人懐っこいというより、知らない人の対しても偶然でも目があったりすると笑顔で合図する。

 ある時、新幹線ですぐ通路の反対側の座席に顔は東洋風だが外見や振る舞いからアメリカ人であろうと思われるカプルが乗ってきた。初めは気がつかなかったが、そのうち何かの拍子に偶然男の方と目があった時、にっこり微笑んだ。この動作で日本人や東洋人ではなく欧米から来た人だとわかったことがある。

 観光客に対するおもてなしについてはあまり心配はないだろうが、未だに根強い欧米系の人たちと東洋系に人たちへの感情的な差別など気になることもある。しかし、それよりも同じ日本人同士での「むら社会」的な差別がどうにかならないものであろうか。