老いの傷跡

  誰しも歳をとると生きてきた長い年月の間に受けてきた色々な傷跡が体に残っているものである。いわば老人の勲章とも言える。目に見えるものもあるが、見えないものもある。内臓の傷跡も見えないが、もっと大きくても見えない傷跡は心の傷跡であろう。

 あの狂った大日本帝国や戦争から受けた傷跡もあるし、その後の社会で受けてきた大きなストレスなどは未だに心の奥底に癒えきらないままにひっそりと眠っている。しかし、これらについてはまた別のところで触れることにして、ここでは今も目に見える体の傷跡について話すことにしよう。

 幸いにも、私はこれまで大きな怪我や病気にかからずに済んできたので大きな傷跡はないが、かと言って何もないわけではない。小学校3年生の冬の工程で走っている時に右手の指が左手の中指に当たって、霜焼けが破れて出血した時の傷跡が今なお微かに残っているし、鼠径ヘルニアの手術を受けた傷跡もあるが、それらは今では自分で探さないとわからないぐらいで、普通は全く忘れているぐらいでここでは無視することにする。

 目に見える傷跡と言っても、誰にでも外から見えるものと、自分では見えても他人からは見えない感覚器の傷跡もある。私の場合、前者は帯状疱疹を二回もしているので、その傷跡が左脚にあり、後者に関しては現役時代に起こした眼底に黄斑浮腫の痕が今も続いており、他人にはわからないが自分では直接ものを見る時の障害として立ちはだかっている。

 帯状疱疹についてはまだ中学二年生の時に罹患し、左の大腿部の付け根から少し先にかけて無数の水泡が生じ、帯状疱疹に伴う神経痛のような痛みで苦しめられたが、当時はまだ一般に医学知識の普及しておらず、戦時中だったこともあり「水ぶくれぐらいで痛がるとは何事か」などと教練の教師に叱られて困った思い出がある。

 帯状疱疹は真皮まで犯されるので、治癒後も未だに水泡の後の痂皮組織の跡が残り、その部分は触っても感覚が鈍くなっている。その上、帯状疱疹のビールスは腰椎神経の神経根に残っているものなので、還暦を過ぎてからまた活動し、同じ左脚の同じ部分にまた発疹と痛みを起こしてきた。

 しかし、その時は病気の知識もあり、幸いなことに抗ビールス薬も出来ていたので、ごく早期に発見し、すぐ薬を使ったおかげで軽く済ませてしまうことができた。ただその後、いつしか左脚の後面にぽつぽつと幾つか白斑が生じ、未だに消えずに続いている。白斑の分布範囲が帯状疱疹の支配神経領域と一致しているのでおそらく帯状疱疹が関係した病変だと思われる。でも、脚の裏面ばかりで自分では見えにくいし、いつも外に曝すところではないのでほとんど気にはしていない。

 ただ、今なおビールスは腰椎の神経根に潜んでいるはずなので、体が弱った時に、いつまた悪さをしないとも限らないが、もうしばらく私が生きている間、出来るだけそっと大人しく眠っていてくれることを願うばかりである。

 それよりも困るのは眼の方である。こちらは同じ傷跡でも、それ自体が視力を妨げるからである。こちらも歴史は古く、起こったのはまだ五十代の頃である。物を見る時に光が集まる網膜の中心にある黄斑に浮腫が起こったのである。

 その部分の視細胞が浮腫のために拡散していわばバラバラになるのでそこに当たる光の量が変わらないと反応する細胞の数が少ないので、認識する脳の方からいえば、ものが小さく暗く見えることになる。したがって見ている視野の真ん中あたりが縮んで小さく、少し暗く見えることになる。細かい格子縞を見ると真ん中の部分だけ格子が歪んで小さくなっているように見える。平行線も真ん中だけが窪んで直線が歪み、線と線の間が狭くなる訳である。

 初めてそれに気づいた時に思ったのは、もし生まれつき両眼ともこうだったら、平行線とはこういうものだと認識したのではなかろうかということだった。確かに平行線は交わらないが、途中でひん曲がっていることになる。客体と目で見た映像を一致させればそうならざるを得ないのではなかろうか。

 初めて発見した時には目のことだけに心配したが、当時の眼科の医師から、これはストレスによることが多いものだが、まず片目だけで両眼に来ることは稀だと聞いて一安心したのであった。黄斑に浮腫があると、向こうから歩いてくる人を見る時、たいていは人の顔に注目するので顔が小さく見えることになる。したがって六頭身の人も八頭身ぐらいになる。それならせいぜいすれ違う女性は悪い左目で見て、顔がぼんやりした八頭身の女性を楽しむことにしようと開き直ったりしたものであった。

 以来、もう三十年はとうに過ぎているが、その間に浮腫は繊維化して瘢痕状になってしまったのであろう、今では左眼の視野には中心暗点があって、見たいものの真ん中が見えない。それでも、もはや八頭身女性は楽しめないが、右目が老眼はあっても健全なので何でも見えるし、本も読めるし、遠近感も何とか保たれているようなので、日常生活上困ることはない。

 九十歳近くともなれば、これ以外にも心筋梗塞でステントが入っていたり、尿の出が悪かったり、肛門の締まりが緩くなったり、便通が良かったり悪かったりするような細かい欠点をあげれば切りがないが、血液の検査をしても、血圧も体重も脂質も糖尿も何にも大きな異常はないようであり、体を動かすのにも不自由はない。好きなことはまず何でもできるので、健康だと思っている。

 元気な老人の傷跡はやはり勲章のようなもので、それより余生を楽しむことだと思っている。