国家の暴力

 先ずは写真をみてください。一枚目の写真は災害にあった老婆を警察官が4人がかりで救出しているところではありません。沖縄北部の高江村で基地建設に反対している住民を警察官が力ずくで排除しているところです。おばあさんがこんなにしてまで反対しているぐらいだからもっと若い住民も当然こぞって反対しているのは当然です。

 二枚目の写真では反対する村人よりも多い多数の警官が、無抵抗な住民やその支援者が座り込んで反対しているのを何人もの警官で住民一人一人を抱え込んで強制的に排除している様がよくわかります。

 沖縄の北部のやんばるの森に米軍のヘリコプタやオスプレイが着陸できるヘリパッドなるものを作るための工事現場のことです。ここでは沖縄の人々が一致して反対しているのに、政府はアメリカ軍のために国民の抵抗を排除しても強引に基地建設を進めているのです。

 沖縄の人たちの反対は何度に選挙を経て、知事をはじめとして大多数の人たちの声だということははっきりしています。それにもかかわらず、政府は沖縄の人々の思いを無視してアメリカとの約束を優先させているのです。沖縄の人たちはどこまで我慢を強いられなばならないのでしょうか。

 それには沖縄に派遣された警官が沖縄の人に向かって、「ドジンとかシナ人」と言ったことでもわかるように、政府が沖縄は本土とは違って植民地のように一段下に見ているのことも関係しているのでしょう。

 それはともかくとしても、二枚の写真を見てもらえばわかりますが、国家権力の実働部隊である警察や自衛隊は決して国民のためにあるものではなく、本質的に政府の暴力機関であることを認識するべきでしょう。災害援助などにおける活動に幻惑されてはなりません。これらもも国民のためというより国家の利益のためにこそ行われているものです。

 人口の四分の一が殺されるという地上戦の悲惨な経験を舐めさせられ、戦後は長くアメリカの支配下に置かれ、日本へ復帰してもついに奪われて土地に作られた広大な米軍基地の戻ることもなく、米軍の横暴な行為も抑えることができず、苦難な生活をもう一世紀近くもの間強いられてきた沖縄の人々の心情を本土に住む我々も理解すべきでしょう。

 これだけ沖縄の人たちの総意が無視されて、いつまでとも知れない生活の苦難を強いられ、反対すれば弾圧されるのであれば、沖縄に残された道は独立しかないのではないのではないでしょうか。もともと沖縄は日本ではなかったのが強引に取り込まれてしまった土地です。住んでいる人たちが自分たちの運命を自分たちで決めるのは当然のことです。同じ日本の同胞として扱得ないのであれば、沖縄の人の意思に従うべきでしょう。

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