「土人」「シナ人」

「土人」「シナ人」という言葉がまだ生きているのかとびっくりさせられた。

 沖縄の米軍のヘリパッドを作る工事を住民の反対を押し切って強行する政府が多くの県の機動隊を動員してまで、住民の反対運動を規制している中で、大阪府警の二人の機動隊員がそれぞれに住民に向かって、「黙れ、こら、シナ人」とか「触るなクソ。触るなコラァ。どこ掴んどんじゃこらボケ。土人が」と罵っている動画がネットに流れて問題になっている。

 また、それを見た大阪の松井知事が「発言は適当ではなかったが、仕事はご苦労さん」と沖縄の人に対する思いやりのない発言をするものだから問題に火を注ぐことにもなっている。

 こんな古い差別用語は戦前のもので、もう長く使われておらず、今では若い人には縁のない死語になっているのかと思っていたら、まだ二十歳代ぐらいの機動隊員までが知っていて、感情的に自然にひょっこり口から飛び出したことに驚きを感じずにはおれなかった。

 こういうことを知ると、差別や偏見はこの特定の機動隊員個人の問題というより、機動隊を含むもっと広い範囲の人々の中に残っていた偏見や差別が隠然として生きており、それが機会を見てこのような発言として出てきたもののだと見るべきであろう。それが公的立場にある機動隊から発せられたことは人種差別撤廃条約にも違反することで問題である。

 この国の一部の人々の沖縄の人に対する偏見は、戦前から見られたアイヌ人や在日朝鮮人、中国人、台湾や太平洋の島国の人たちに対する偏見と同類であり、戦後もその名残が今尚執拗に残っているようである。

 このような偏見は戦前の欧米に対するコンプレックスの裏返しとしての周辺地域の人々に対する歪んだ優越感によるものであるが、近年における周辺国の発展やこの国の発展の停滞などが関係して、最近再び強くなってきているような気がする。

 そう言った流れの中で、自分たちが見下している沖縄の人たちの抵抗に優越感を持って対峙している警察官がイライラしてつい本音の言葉を口にしたものではなかろうか。中国が尖閣諸島だけでなく沖縄まで狙っているという右翼の発言もあるので、「シナ人」という言葉もその関連から飛び出したのであろう。

 沖縄の人も今では同じ日本人である。多くの沖縄出身の歌手やタレントもいるではないか。観光地としての沖縄も人気があるではないか。その沖縄の人たちが米軍基地の問題で苦しみ、はっきりと反対の意思表示をしていることを無視してよいのであろうか。それを押し切って強硬に進める政府の施策に同じ日本人として無関心であって良いものであろうか。

 本土の人たちはもう少し沖縄の人たちの苦しみを知るべきである。沖縄処分で無理やり我が国に組み入れられ、土人として蔑まれ、1903年には大阪での博覧会で沖縄の女性が見世物にされた「人類館事件」のようなことまであったのである。

 その上、戦争では米軍の本土侵攻を遅らせるための沖縄戦で人口の4分の1の人が犠牲になり、さらに戦後はアメリカ軍に強制的に土地を取り上げられて広大な米軍基地が作られ、先祖から受け継いだ故郷であるのに、多くのトラブルに苦しめられ騒音にも悩まされながら暮らさねばならない悲運を理解すべきである。沖縄に行って見ればよくわかる。良さそうに見えるところは大抵米軍の基地に取られている。

 日本政府も沖縄に基地を集中させることによって内地の基地にまつわる諸問題を避けてきたこともあり、多くの矛盾のしわ寄せを沖縄に押し付け、今もなおそれを続けているのことに責任があり、同じ同胞として沖縄が本土に住む我々の犠牲になっていることに思いをいたすべきである。

 少しでも早く沖縄の負担を軽減し、沖縄の人たちが本土の人たちと同じように暮らせるようにすることが我々にとっても努力義務ではなかろうか。そういった中での「土人」「シナ人」の発言がどういう意味を持つか、警察でも現地に派遣する前によく教育すべきであろう。