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オリンピック憲章

 8月の末にもオリンピッックについて書いたが、リオの大会がすんでも、この盛り上がりを次の東京大会へつなごうと、今の時点になってもオリンピック、オリンピックとテレビでも繰り返し、先日はリオで賞を取った選手のパレードがあり、80万もの人が詰め掛けたと言われる。

 しかし、オリンピックの掛け声に寄っかかった利権に群がる人たちのおかげで、東京大会の予算がべらぼうに膨れ上がり、都政が変わったこともあり、予算や施設の見直しについて国会でも問題になっていることもある。

 政府はすでに昨年 11月に「2020年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競 技大会の準備及び運営に関する施策の推進を図るための基本方針」を閣議決定し、政府が何を目指しているかを明確にしているのだ が、どうも政府は五輪をホストす ることの意味を根本からはき違えているようである。

 東京大会が決まる時から、政府はIOCへの多額な賄賂を払ったりまでして誘致し、決定の時には首相自らが「福島災害は完全にコントロールされている」と大見得を切り、リオの閉会式には自ら乗り込んで演技するなどしてまで、東京大会には並々ならぬ熱意で臨んでいるようである。初めからオリンピックを景気浮揚や国威発揚に利用しようと意図していたことは見え見えである。 

 政府の基本方針 にも「海外に日本の力を見せる」「過去最高の金メダル数獲得を目指す」などホスト国の 日本が享受すべきメリットばかりが強調され、本来のオリンピ ア精神の推進とはかけ離れた構想になっている。

 オリンピック憲章はその冒頭で、精神と肉体のバランス、平和主義、差別の撤廃などを謳 い、それがオリンピズムとは何かを明文化したものとなっている。本来ならそうした考え方に賛同を示 し、それを更に発展させることに一役買う覚悟のある都市だけが、五輪のホストになる資格を有するわけである。

 スポーツ評論家の小川氏によると、五輪の目的は以下の4つの「ない」によってあらわすことができると いう。それは1) 開催国のためのものではない、2) 国同士の争いではない、3) 経済 効果を求めてはならない、4)勝つことが目的ではない、の4つだという。

 これと比べると政府の方針はこれと全く逆のようにさえ見える。ナチスドイツが1936年のベルリン大会をナチスの民族の祭典としてフルに国威発揚に利用したことへの反省など聞いたこともないかのようである。

 いっそのこと、国別の競技はやめ、個人と団体のみの競技とし、国旗掲揚や国歌斉唱を廃止し、個人や団体のシンボルに限ることにして、国家や都市は施設の整備や環境の整備を行い、暖かく選手や試合を見守り、観客動員や安全を請け負い、大会のスムースな運営に徹するようにすれば良いのではなかろうか。

 もちろん、これまでの経過や膨大な経費も必要なことからも、すぐに変わるわけには行かないでありうが、少しでも本来のオリンピック精神に帰る努力はすべきであろう。ベルリン大会の轍だけは踏まないでいただきたい。そして、国にとらわれずに、素晴らしいアスリートたちの優れた演技を楽しませて欲しいものである。