無責任な日本の官僚機構

 築地市場豊洲への移転問題がどうなっていくのか国民の関心を集めている。すでに新市場の建物もほぼ完成しており、やがて移転とスケジュールまで決まった時点で、東京都知事が変わり、新たなチェックが入ると、最初に決められた埋立地の盛り土が建物の下にはなされておらず、コンクリート枠の空洞になっていることが発覚したのである。

 移転は延期され、どうしてそうなったかとその経緯が調べられ、その結果が公表されたが、小池百合子知事は9月30日の記者会見で「それぞれの段階で流れの中、空気の中で進んでいった」と説明。盛り土問題の責任者は特定できなかったということになった。

 いくら組織が大きく部局間の連携がうまく取れていなかったからといっても、このような大きな設計の変更に誰も気づかなかったことなどありえない。公務員だからその都度誰しも一応は書類に目を通し印鑑を押すわけであるから、大事なところで誰が印鑑を押しているのかわからないはずはない。

 責任者がわからないというのは誰かを守るために、組織的に多くの者が隠しているのか、皆が無責任にメクラ版を押しているのかどちらかでしかない。都庁は伏魔殿だとも言われているようだが、本当に誰もが知らない間に重大な設計変更が行われたのであろうか。馴れ合いでお互いに庇っているのではなかろうか。それが一番恐ろしい。

 この国では何か大きな出来事が起こっても誰も責任を取らないで、時間の経過とともにうやむやになってしまうことが多い。先の大戦でもあれだけあれだけ甚大な被害を受け、多くの命が失われ、国家さえ破滅をきたしたのに誰も責任を取らず、結局うやむやになってしまった。戦争を経験した世代が死に絶えていくにつれて、今ではあの戦争を止むに止まれぬ正義の戦争だったという人さえ現れることのなっている。

 福島の原発事故のようにもっと限定的な事故ですら、人為的なミスであったことが明らかなのに、誰も責任を取らず、警察が捜査に入ったことも聞かないし、罰せられた会社の責任者もいない。その上、反省や抜本的な見直しもないまま再稼働が行われ、事故がまるでなかったかのように事故の隠蔽が行われている。今なお被害で苦しむ人もいるのに、首相までが完全にコントロールされていると言っている。

 そして昨今の戦前にますます類似してきた世相を見ると、やがてまた、誰も責任を取らないまま、空気に流されて、個人的には反対だったけれど、もはや反対することができなかったという戦前と同じことを繰り返し積み上げていって、いつかは引き返しえない誤謬の上に再びこの国を破滅させるのではないかと心配になる。

 いい加減に「むら社会」の残渣を取り払い、強いものには巻かれろから逃れ、 YKを止め、個人を尊重し、異論をも取り上げ、民主主義を守り、責任体制を明瞭にするなど組織の根本的な改革を行わないと、この国の未来が閉ざされてしまうのではなかろうか。東京都の官僚体制の現状だけでなく、日本全体についての警告のような気がしてならない。

 誰の責任もないままに又もや「流れの中で」戦争に決まってしまう事態になることが一番恐ろしい。