「生き方」と「在り方」

 作家の沢木耕太郎さんが自分の小説「春に散る」について、主人公の一年で描きたかったのは、彼の「生き方」ではなく、そのような言葉があるのかどうか定かではないが、あえて言えば「在り方」だった。過去から未来に向けての「生き方」ではなく、一瞬一瞬のいまが全ての「在り方」だということを、新聞に書いていた。

 私のように、もう九十に手の届く年になってみれば、もはや「生き方」ではなく毎日毎日の「在り方」が問題だと日頃思っていたので、同感させられた。

 いつまで生きられるかわからないが、もういつお迎えが来てもおかしくない。今更、将来に向かって「生き方」を考えても始まらない。今の「在り方」を少しでも豊かにして、終わりまでの時間を楽しく過ごしたいものである。

 これまでもじっとしておれない質なので、何やかやと野次馬のように覗いてきたが、深く突っ込んでやった趣味のようなものはない。昔、父親に「お前のように何にでも顔を突っ込んでいたら何もものにならんぞ」と言われたことがあるが、その通りになった。今更、何かがものになるはずもないが、自分なりの楽しみは沢山憶えた。それが私の「生き方」ではなく「在り方」につながっている。

 本を読むもよし、映画を見るのも楽しい。「楽絵」と称して落書きのような絵を描いたり、廃物を利用してガラクタ工作で何かを拵えたりするのも好きである。写真をもとにパソコンで細工するのも楽しい。文章を書くのも苦にならないので、日記代わりのブログを書いたりもしている。

「誤非違集」と称して下手な句?を作ったりもしている。新聞の歌や句の欄を見て、未だに消えない戦争の憶いを述べた歌や句のチェックもしている。元来が野次馬なので、街へ出てあちこち見物しながら歩いたり、ギャラリーや美術館を覗いたりするのも好きだし、歩くのが好きなので野山を散歩するのも心地が良い。

 幸い女房も元気で、趣向が一致するので、どこへ行くのも一緒に行けるのが何よりである。年に二、三度は手軽な旅行も楽しんでいる。絵の仲間や写真の仲間がいることもありがたい。

 この年でこんなことが出来ているのは殊の他、幸せと言わねばならないだろう。この国の社会は決して良い方に向かってはいないのが気になるが、個人的には神に感謝すべきかもしれない。ただし、私は無神論者なので女房に感謝、感謝である。いつまでもこの幸せが続くものとは思っていないが、あとは成り行きを天に任すよりないであろう。

 さしあたり、今のモットーは”Dum Vivimus VIvamus"(生きている間は生を楽しもう)である。