国家は独占的暴力機関

 沖縄北部の生物の宝庫とも言われるヤンバルの森のヘリパッド建設を巡り、住民と警察の対立が続いている。連日インターネットで問題となっていたのに、こちらの新聞やテレビではほとんど取り上げられていなかったが、さすがに最近では新聞などでも一部取り上げられるようになった。

 先の参議院選挙を含め、沖縄の住民の一致した反対が表明されているのを押し切って、政府が警視庁を始め、あちこちの府県から機動隊を動員して送り込み、反対運動の人たちをごぼう抜きにして排除するなりして強引に作業を進めている様子が連日公開されている。

 度重なる選挙の結果を見ても住民の反対の意思ははっきりしているにもかかわらず、それに対する十分な説明もないまま、政府のしていることは暴力で反対を抑え、力で工事を強行しているものである。

 アメリカとの約束を果たすために政府としては住民の反対を押し切ってでもヘリパッドの建設をしなければならない理由があるのであろうが、民主主義の政府であれば、住民への説得をし、納得の上でしなけれならないはずである。

 住民に対する十分な説明がなされていないことは、参院選直後に突如として行動を始め住民を驚かせたことからも想像できるが、これだけ問題になれば、沖縄の住民にだけではなく、国民に対しても説明があるべきであろうが、政府は押し黙ったままで、全国のニュースでも意図的に取り上げられないようにしている感さえある。

 反対する住民が作業を邪魔と判断すれば、一方的に公務執行妨害ということで検挙されるが、機動隊が少々手荒なことをしても問題にならない。機動隊が沖縄の記者の取材を妨害したり、不法な検問や交通制限をしたりをしていることも報じられているし、住民の強制排除では怪我人まで出ているようである。

 本来国家とは独占的な暴力機関であるが、この沖縄の現状見ると、政府は決して住民を守るものではなく、住民を敵に回してでも必要とあらば暴力を持ってしてでも、自らの意思を貫こうとするものであることがはっきりする。本来民主主義の国というものはこの政府の暴力を憲法によって国民が政府の行為に制限を課するものであるが、この現実を見るとこの国が決して民主主義の国ではないことが実感させられる。

 政府にとっては住民の利害は暴力で押さえつけてでも、アメリカとの約束を優先しなければならないのである。なるほど外交上の約束は守らなければならない。しかし、ここまで住民が反対するのであれば、アメリカとの約束を再考しょうということもあり得るはずである。

 外国との交渉も大事であるが、国民の意思に沿うことの方がその国の政府にとってより重要であることが言うまでもない。その声を聞かないばかりか、逆にアメリカの方から計画の変更の可能性を示唆するニュースさえ漏れてくるのに、政府は頑固に約束にこだわることは、政府がアメリカの下請け機関であって、国民のための政府ではないことを表明しているものではないだろうか。

 先の大戦での沖縄戦の惨状の中でも、政府の軍隊は住民を助けなかった歴史があるが、今なお政府は住民に難題を暴力を持って押し付けても、住民の命や生活を守ってくれるものではないことを毎日毎日住民に嫌という程体験させ、本土の国民にも現政権の本質をはっきりと示しててくれていることを知るべきである。