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オリンピックでは国別対抗競技を止めては?  

 リオデジャネイロのオリンピックが終わり、次は4年後の東京オリンピックだということで、リオの閉会式での東京大会の宣伝では安倍首相がスーパーマリオの格好をして現れたことで賛否が分かれている。オリンピックでは政治的な主張などは禁じられているぐらいで、国が前面に出るべきではなく、一国の首相が関与する幕ではないからである。

 それはともかく、オリンピックの競技自体は世界の人々が楽しめる催しで、私も結構いろいろと楽しませてもらった。ただテレビなどを見ていても、国別の競争意識が強過ぎて、選手も「日の丸を背負って」とか「国の声援に答えなければ」という圧力を感じているように見えるし、報道も個人よりも「日本、日本」の声が強く、日本のとったメダルの数ばかりが過去問題であるかのように、過去最高の41個だったなどと自慢され、国はナショナリズムの高揚に利用しようとしているようである。

 オリンピックにはナチスが1940年のベルリン大会をナショナリズムの高揚に利用した悲しい歴史もあり、今のオリンピック憲章には、オリンピックは「平和な社会と人間の尊厳」を推進することを目的にするとあり、さらに、「オリンピック競技は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」とはっきり書かれているのである。

 国別のメダル獲得数についても、国際オリンピック委員会と組織委員会がわざわざ国別のランキングを作成することを禁止しているそうである。国別の競争が、ナショナリズムの高揚に利用され、無理な選手の国籍編入や、ドーピングの問題などの不正にも繋がりやすく、オリンピック精神を歪曲しかねないからである。

 それにもかかわらず、日本のこの問題に対する認識はあまりにも低過ぎるようである。NHKさえオリンピック開催のメリットとして「国威発揚」をあげ、オリンピック憲章に無知であることをさらけ出しているぐらいである。

 新聞やテレビは今回のリオ大会では過去最高のメダルを獲得することができ、東京大会につなげることができるとか、メダルをもらった選手に国民栄誉賞を出そうかなどと議論されていることを報じているし、安倍首相のスーパーマリオの演出もそうだが、東京大会の組織委員長の森元首相が「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」というような発言がまかり通ることにもなっている。

 日の丸や君が代は国民の多くが支持するなら、その決められた経過は別として、それで良いが、私にとってはともに嫌な戦争の思い出や大日本帝国の亡霊と結びつくので、競技には関心があっても日の丸が揚がり、君が代が流されると嫌な感じに襲われるのをどうすることも出来ない。本来個人や団体の競技であるから、国歌を歌うか歌わないかは選手に任せるべき問題であろう。

 もちろんスポーツにはお金もかかるが、民主的な決定に基づいて国が公的なサポートすることは素晴らしいことであるが、あくまで個々の選手や団体のスポーツ振興に徹するべきで、国威発揚ナショナリズムの高揚に役立てようというようなことはすべきではない、

 オリンピック憲章を知っていながら、それを無視してオリンピックを国威発揚ナショナリズムの高揚に利用しようとしている日本政府が素直に聞くはずはなかろうが、いっそのこと、オリンピックから国対抗のような競技は外し、個人や、団体の競技に徹して、国をまたいだ団体の参加なども認め、世界中の人が国に関係なく、世界のトップレベルの競技を共に楽しめるように組み替えてはと思うがどうであろうか。