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報道機関は頑張ってほしい

 戦争の絶滅を訴え続けたジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが101歳で亡くなられた。

 それについて、二十二日付の朝日新聞の「天声人語」でも取り上げられていた。それによると、戦争中の新聞社でも、あからさまな検閲や弾圧などがあったわけではなかったそうである。報道する側が「権力と問題を起こすまいと自分たちの原稿に自分たちで検閲を加え」自主規制していたので、大本営発表のような報道もそのまま流れ、検閲や弾圧の必要もなかったのだそうである。

 しかし、こう言った自主規制の方が検閲よりもはるかに有害であったわけであり、むのたけじは敗戦を迎えた日に、自身の戦争責任を取りたいとして朝日新聞をやめたのであった。

 このような自主規制は過ぎ去った過去のことではなく、最近再び、報道機関の自主規制が強くなり始め、総務大臣によるテレビ局の免許取り消しの脅しや、右翼の特定テレビ局の解説者に対する新聞広告による圧力、三人ものニュースキャスターの同時降板、NHK会長の政府への迎合、その他などなどが次々に起こり、それ以後、主な報道機関の報道が急速に政府の意向を忖度した取り上げ方に変わってきたことは異常としか言えない。その結果、今や政府に都合の悪い記事は無視されたり、歪曲され、最近の新聞やテレビのニュース関連の記事や報道が目に見えて面白くなくなった。

 真実を知ろうとすれば外国の新聞やインターネットなどの記載を参照しなければならないことが多くなり、何か戦前に戻ったような気にさせられるこの頃である。

 恐らく、これも政府からの直接の圧力などではなく、影の圧力を忖度した報道機関側の姿勢でそうなっているような気がする。天声人語の筆者も「彼の残した言葉の良薬は昨今とりわけ口に苦い。お前は萎縮していないかと筆者も胸に手を当てる」と書いておられる。

 秘密保護法あたりから始まり、国民の反対の声には耳を貸さず、アメリカ従属の姿勢を強め、憲法解釈を捻じ曲げてまで安保関連法案を強行採決させて集団的自衛権を可能とし、憲法を改正して立憲政治までを変更しようとするなど、世はいよいよ戦前に似てきている。

「沸き立つ時も沈む時も集団に流されやすい日本社会」だからこそ、敗戦後の新聞社としての反省をも踏まえて、ジャーナリズムの基本性質としての反骨精神を守り、どこまでも良心にかなった報道をしてほしいものである。