お盆の敗戦の日

 毎年この時期にはお盆と敗戦の日が同時にやってくる。いやでも八月は戦争を思い出さされる月である。

 国中が焼野が原になり、餓死者まで出る悲惨な状態で、呉周辺の軍艦も皆沈められた後、暑いよく晴れた十五日の正午に聞かされた終戦の詔勅、雪崩を打って崩れていった大日本帝国、それに続く戦後の混乱の景色などはいつまでたってもそれこそ走馬灯のように脳裏に巡ってくる。

 そして、その混乱の中での人々の対処の仕方、「天皇陛下の御為には」を一夜で「民主主義の時代」に変えられた人もいたし、破綻した国の自分を処理できずに陥った虚脱状態からいつまでも立ち直れない人もいた。時代が急激に変化する時の、弱い個々の人々の様々な身の処し方を見させてもらったことは今から思えば貴重な経験であったとも言える。

 この敗戦はお盆といつも同じなので、どうしても余計に死者に思いが向く。あちこちのお寺の墓地に見られる「故xx上等兵乃墓」などと彫られた墓も今では古びて、新しい立派な墓に追いやられ、ひっそりと見立たない存在になりつつある所が多い。しかし、私にとっては、それを見る度に、あの戦争で亡くなった多くの人々が亡霊のごとく現れて、無謀な戦争の時代に引き戻されそうな気がしてならなくなる。

 本来国民を守るべき国家が間違った政策をとり、無謀な戦争を始めたりするとどういうことになるのかを身をもって体験させれれたことは今に至るも忘れることのできない貴重な経験であった。国家は決して国民を守ってはくれないこともはっきり示された。

 もう今年であれから71年にもなる。考えてみると明治維新が1868年で、それから敗戦の1945年までが78年だから、ほぼそれと同じぐらいの年月が経ってしまったことになる。平和憲法のおかげで、この間戦争もなく、経済成長のおかげで人々の生活も豊かになったが、国としてはアメリカの屬国になったままである。

 今だにこの国はアメリカの意向に沿って運営され、政府は国民の生活よりもアメリカの意向を優先し、民主主義的な平和憲法のおかげでこれまで戦争に巻き込まれることなく済んできたが、アメリカの衰退とアジア諸国の興隆が進むとともに、事態は次第に変化してきているようである。

 この国では、アメリカ従属のもとでのアジア支配を目指す勢力と、「大日本帝国」へのノスタルジアを感じ、夢よもう一度と企む右翼勢力の混合が政権を握り、次第に独裁色を強めていきつつあることに注意を払わねばならない。彼らは秘密保護法や安保関連法案で憲法解釈を変え、報道の自由に干渉し、憲法改正まで進めようとしている。実世界でも、利権とむら社会がからみ、次第に戦前の世界の空気が戻りしつつあるように見える。

 国は決して国民を守ってくれない。人々にとって守るべきは家族であり、故郷であり、「くに」であり、その中の平和な人々の生活である。決して国民を統治する国家ではない。国民に主権があり、民主的な憲法が守られ、政府が憲法を忠実に守って初めて「くに」と国家は一致するのであり、国民に主権がない国家と「くに」の違いを間違えてはならない。謝って政府の言に載せられれば、再び取り返しのつかない破滅につながりかねないことを十分に知っておくべきである。