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仕草の違い

 先日、信州へ行った帰り、金沢で新幹線から在来線のサンダーバードに乗り換えた時のことである。私たちの指定席の通路の反対側には大きな男性がサングラスをかけたまま通路まで足をはみ出さんばかりにしてスマホを見ながら座っていた。

 リュックを下ろして席に座ろうとした時、偶然その男性と目があったら男性がにっこり微笑んだ。一瞬、「あれ!外国人か」と思った。欧米人は知らない人と目がった時など、にっこり微笑を浮かべて挨拶がわりにすることが多い。「私は敵ではありません」という意思表示なのだと、昔、誰かに教えてもらった。

 しかし、しばらくして男がサングラスを外すと日本人の顔つきをしている。最近は日本人でも、若い人の中には随分大きな人も増えたので、背丈だけでは区別がつかない。日本人なら知らぬ人に微笑みかけるような仕草を見せることはないので、きっとスマホの方に笑顔にさせる原因があったのであろうかとその時は思った。

 ところがその男性の奥の座席には連れの女性がおり、時々お互いに何か話している。少し離れているので言葉ははっきりと聞き取れないが、どうも日本語ではなさそうな響きである。二人の仕草もどこか日本人のそれとは異なっている。

 やっぱり外国人かと疑ってみたりしていたが、終点の大阪駅に着いてみると、客室の端にある荷物棚から大きなバゲージを二つも三つも取り出している。やっぱり外国からの観光客に違いなかった。そこで改めて初めの微笑みが欧米人のする挨拶の仕草であったことを確かめることができた。

 日系人の二世なのか、どこかアジア系のアメリカ人なのかわからないが、おそらく子供の時からの欧米育ちで、自然な仕草としてその微笑みが生じたものだろうと思われた。

 人々の何げない仕草や所作で、どこの出身かが想像できることがよくある。挨拶一つでもお互いにおじぎする国もあれば、お互いに手をあわせる国もある。親しい間柄ならお互いに手を上げて挨拶することもあるし、ハグすることもある。ハグの仕方も微妙に色々と違う。

 そういう何でもない日常の仕草や動作の違いを見ているだけでも、世界には色々の人がいて、同じ人間でも少しずつ違っていて、それでいてお互いに簡単に仲間になれる様を見ているだけでも楽しい。

 食事の仕方も少しづつ違う。丼やお椀などを多用する日本では、食器を持ち上げて箸などで食べるのが普通だが、皿が主な欧米系では食器は原則置いたままで、ホークや手で食品を持ち上げる。そんな違いからスープなども日本ではお椀に口をつけて飲むが、欧米系ではスプーンですくって飲むことになる。

 そのようなことに関係しているのであろうが、日本人は汁にしてもお茶にしても液体を吸い上げて飲むが、欧米人は液体をスプーンで掬って口に入れる。啜るという動作がないようである。

 従って、日本人かどうかがよくわかるのはスプーンでスープを飲む仕草を見ることであろう。日本人はスプーンに汲み上げたスープでも啜ってのむ人が多いのの対し、欧米人ではスプーンに汲んだスープはそのまま口に流し込むのが普通の仕草のようである。

 まだまだ色々な違いがあり、こういう国により、地方によって異なる人々の仕草や習慣の違いは、見ているだけでも興味深いものであるが、昔聞いた話で、このような微妙な仕草の違いから日本人のスパイが中国でスパイだと見抜かれたということもあるようである。

 まだ戦前のことであるが、そのスパイは中国に長年潜入しており、中国語の四韻もこなし、すっかり中国人になり切っていたそうだが、宿で顔を洗うのを中国人に見られ、日本人ではないかと怪しまれることになったのだそうである。中国人は手の平に水を盛って顔を洗う時に、顔を動かして顔を洗うが、日本人は手の平の方を動かして顔を洗う違いがあるそうである。

 その違いから怪しまれることになったということである。昔の話でどこまで本当かはわからないが、よその国の人と付き合っていると、時にそのような微妙な仕草の違いなどを感じて興味深く感じるることがあるものである。