米寿を迎えて

 昨日でちょうど満で88歳、米寿になった。いつの間にか周りの友達もいなくなってしまい、ひとり長く生きてしまった感じである。

 戦後の若い頃には、敗戦によって自己の全世界が崩壊してしまい、虚脱状態が続いて、アナーキズムに落ちいり、生きる意味も見出せず、自殺を考えたこともあるぐらいだったので、せいぜい42歳ぐらいまでも生きたら充分だと思っていた。

 それが結婚して子供ができると、親の義務として子供が成長するまでは死ぬわけにもいかず、なんとか医者になって、忙しく仕事をしているうちに忽ち42歳は過ぎてしまった。

 そのうちに老眼が進み、体も次第に無理も効かなくなたてきたなと思うってきたら還暦となり、病院の仕事を辞めて産業医となり、病院をやめるとこんなに楽なのかと思っているうちにまた時が経って古希も喜寿も過ぎて80代になってしまった。遠ざかる時間の速いこと。その間に孫たちも成長してあっという間に大人になってしまった。

 そして、気がついたらもう米寿だというのが偽らざる心情である。

 ひとから「元気ですね、何か秘訣でも」と聞かれても、特段健康に気をつけてきたわけでもないので、気の利きたアドバイズなどはできない。親父が94歳、お袋が96歳で死んでいるので、おそらく長生きの血統を受け継いだのであろう。

 80歳になるまでは産業医をしていたので、社員との付き合いで健康診断も受けていたが、何も引っかからなかった。それで、常勤の産業医を辞めてからは一切健康診断などは受けないことにして、運を天に任せることにした。平均寿命も超えたことだし、誰しもいつかは死ぬものである。歳をとれば命も成り行きに任せるのが正解ではないかと思うようになった。

 幸い自覚的にも特に自分を悩ます症状もなく、普通の生活で何ら困ることもないので医者にかからず、薬も飲まず、自分の気の向くままに生活を続けてきた。

 医者の仕事も頼まれるままに多少こなしながら、絵を描いたり、写真を撮ったり、パソコンで映像をいじったり、リサイクルアートまがいのものを作ったり落書きをしたり。街へ出て映画を見たり、ギャラリーや美術館を回ったり、音楽会に行ったり。あるいは野山を散歩したり、日記まがいの文章を書いたり。本を読んだりと、することには事かかない。時間はいくらあっても足りない。歳とともに能率が悪くなるのでなおさらである。

 昔、親父に「お前のように何にでも首を突っ込んでいたら何もものにならんぞ」と叱られたことがあるが、その通りとなり、この歳になるまで何もものにならなかった。しかし、今では開き直って、今更この歳になって何かがものになるわけがない。それならものにならなくても良いから、何でもやりたいことをしなくちゃ損だと思っている。

 ところで、そんな中で歳をとっているのに健康保険を全然使っていなかったら、本当はもう死んでいるのに身内がそれを隠して年金の不正受給をしているのではないかという疑いで、総務省の役人が生死を確かめにやってきた事もあった。税金の節約に協力していたのに、表彰どころか詐欺の疑いをかけられるなど、ひどい話である。

 しかし、昨年8月4日に心筋梗塞で突然救急車で入院する事となり、以後は薬も使っているのでもう不正受給を怪しまれる事もなくなったはずである。その上、入院したおかげで、頭の先から足までほとんどの心血管系の検査をしてもらい、詰まった冠動脈の場所以外の血管にはどこにも問題となるような障害のないことがわかったので、これから先、ますます安心して成り行きに任せてもよいというお墨付きをもらったようなこととなった。

 88歳で特に自覚症状もなく、食も進むし、お酒も飲める。夜もよく眠れるし、体も柔軟、歩く事も苦にならず、同年輩よりは早く歩ける。これだけ揃っていたら文句はない。無神論者でも神に感謝したい。もうそのうちに何かが起こっても積極的に手を加えるようなことをせず、神の手に任せておきたいと思う。

 今では何れ最後を迎えるであろうが、どのように死ねるかだけが気がかりである。できるだけ他人の世話にならずに、死ねるのが願いである。一人でぽっくり逝ければそれが一番良いであろうが。そううまくいくとは限らない。救急医療の蘇生術などにはお世話になりたくないが、人知れず死ぬのはよいが、発見が遅れて周囲の人に迷惑をかけ過ぎるのもよくない。どちらみち、誰かのお世話にはなることであろうが、できるだけ最小限の世話で済むようにしたいものである。

 米寿になってもまだ先の希望や期待を言う人もいるが、私はもはや過去のことは後悔せず、未来は決して明るくないが、期待を広言することはやめ、心の中で希望するにとどめ、最後の命を生きている限り楽しみ、、行き先は天命にまかせようと思っている

" Dum Vivimus Vivamus "