同じ民主的な選挙とはいうものの

 イギリスが国民投票で EUを離脱することになってしまった。それについてはまた改めて書かねばならなくなるかも知れないが、その国民投票前のイギリスでの街の様子がいくつもテレビで流れていた。

 丁度、日本でも憲法改正が視野に入る大事な参議院選挙が始まったところであるが、それを見ていて感じたことは、議会の選挙と国民投票という違いはあっても、同じ民主主義的な選挙であっても、国によって選挙活動や街の様子はずいぶん違うものだということであった。

 ロンドンでは離脱派残留派が五分五分の激しい競り合い合戦をしていたが、日本と一番違うのは、市民同士の自由なディスカッションが街のあちこちで繰り広げられていたことであろう。どちらの陣営も個別にビラを配ったりしていたが、配った現場であちらでもこちらでもお互いの個人的なディスカッションが見られたことであった。

 日本ならビラを配っても、仲間や同じ選択の人同士なら「頑張って」というぐらいで、反対派なら黙っているか、ビラを受け取らないようなことが多いのではなかろうか。街頭演説では大勢の人が集まって、自分の主張は声高く言い、野次なども飛んで反対の意思表示することはあっても、それをきっかけにそこらで個別の公の議論が始まるようなことはまずない。

 「礼儀深い」日本人は相手のことを思いやり、自分と考えの違う人に自分の意見を主張することは少ない。候補者本人や選挙運動に加担している人を別にすれば、多くの人は話は聞いても、口は開かず、聞かれれもしなければ黙って誰に投票するかも言わないことが多い。

 ことに職場や一緒に遊ぶ仲間うちでは政治の話は意識して話題に載せないようにすることになっているようである。ゴルフ仲間で一人がバッグに「憲法を守ろう」というステッカーを貼っていたら、皆から「遊びの中だからそんなのとったら」と言われたという話もあった。

 それでいて、会社の社長の方針などで特定な立候補者を応援するとなると、会社では黙って寄付金箱などが回ってきて、皆が黙って寄付をするような事が見られる。業界団体がある政治家を支持するとなると、会社は利害関係から当然その候補者を応援し、社員の意向などにはお構いなく、会社の中ででも公然と寄付をしたり、選挙違反スレスレのところまで運動が繰り広げられることも多い。

 従業員で意見をにする者は会社で公然と反対意見を言おうものならつまはじきにされるので黙っている。保身のためにはそれが必要なのである。

 会社や仲間うちだけでなく、近所付き合いでも「むら社会」の伝統が残っているので、周囲の人と同調するよう無言の圧力がかかることが多く、地域のボスの移行の沿って、表面的には政府に反対しないような無難な意見に同調するような雰囲気になることが多い。

 一部の人たちは今なおそれが和を重んじる大人のやり方だと考えるようでもある。従って、それに同調できない人も少なくとも表面的には同調しているように取り繕って、自分の意見は表に出さないのが良いとされている。

 従って家庭内や非常に親しい友人などを除けば、政治的な議論が普通の日常生活の中で話されることはあまりない。そこらが選挙に向けての日々の暮らしの中で、日本の街角とイギリスの街角の決定的な違いの原因ではなかろうか。

 言語でコミニケーションを図る欧米などと違って、「黙って座ればピタリ当たる」ような言語外のコミュニケーションが重視され、それに「和を以て尊し」が加わる文化の違いも関係しているのであろうが、日本で街頭でいきなり出会った人どうしが政治問題を冷静に討議しあうなどいうことは普通は考えられないことのようである。

 しかし、時代は変化しているのである。いつまでも島国に閉じ籠っているわけにもいくまい。日本でも、初対面の人とでももう少し自由に議論して違った意見を交換し合い、いろいろな意見を受け止めてお互いの理解を深め、自分の意見の集約にも役立てる努力をしていく必要があるのではなかろうか。日常的に人の意見に合わせるだけでなく、違った意見を聞いて判断材料に加えることが形式だけでない真の民主主義を育てるためにも必要なのではなかろうか。

 テレビの中継でロンドン市内のEU離脱の選挙戦の様子を見ていて感じたことである。