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我が転倒の記録

 歳をとってたまに転倒するようになった。出来るだけ足腰を鍛えるようにしたり、片足立ちをしてバランス感覚を養ったりしているが、それでも歳をとるとどうしても転倒しやすくなるようである。

 一番の原因はバランス感覚が悪くなることであろうか。目を開けていたら片足で1分以上も経っていられるが、目を閉じた途端片足では十秒と立っておれない。

 そんなことで何かにつまずいたりして倒れかかった時に体のバランスを取り戻すのが難しくなるようである。転倒した時は、まるでスローモーション映画を見ているようで、しまった、転倒するぞと自分でわかっていながら、次第に体が傾いて、一こま一こま進んでいって、自分ではどうすることも出来ずに最後に倒れてしまうのである。その間、ずっと自分でよくわかっているのである。

 おそらく、ビルの屋上から飛び降り自殺する人なども、飛び降りてから地上にぶつかって命を落とすまでに、同じような自分ではわかっていながら最早引き返せない最後の時間を経験するのではなかろうか。

 それは兎も角、年をとって体のバランスが取りづらくなると、日常動作でもズボンや靴下を立ったままで履いたり脱いだりするのが難しくなり、私はまだ大丈夫だが、ズボンを脱ごうとして転倒し大腿骨頸部骨折を起こした友人もいる。

 また、歳をとると歩く時につま先が充分上がらないので、ちょっとした段差や障害物にも躓きやすくなることも転倒しやすくなる原因のようである。歩く時は出来るだけかがとから先に地面に着くように歩くのが良いと老人同士では話したりするも、歩いている間ずっと注意力を維持出来るわけもなく、疲れてくるといつしかつま先の上がり方が不十分となり、僅かな段差や障害物に引っかかって転倒のきっかけを作ることになる。

 私自身の経験でもこんな些細なことでの転倒が最も多い。そして、そんな転倒のことをなぜかよく覚えているものである。あの橋の袂で転んだとか、あの店の前の少し傾斜した歩道だったとか、ロスアンゼルスの大聖堂の庭でも倒れたとか思い出す。そんなことが重なったことが下肢のストレッチや腕立て伏せ、ラジオ体操などを始めたきっかけになったのだが、バランス感覚はそんなことではあまり変わらないようである。

 つい先月も循環器病研究センターへ行った帰り道、気持ちの良い季節だったので北千里まで歩いて帰ったが、最後に北千里の駅に着いた所で、道を横切り車道から歩道に上がる僅かな段差につまずいて転んでしまった。

 私のように慌て者はどうしてもせかせか歩いて、上体が足より前に出がちなので余計に転倒しやすくなるのかも知れない。殊に下り坂は要注意である。登り坂では足の出が悪くて躓いても前方に手をつくだけで済むが、下り坂では前方の空間が広いので事故に繋がり易い。

 先月にもう一度転倒したのはロスアンゼルスへ行った時のことだった。イーグルロックという公園へ行った帰り道、機嫌よくなだらかな坂の歩道を下っている時、歩道に落ちていた少し長い木の枝に足が引っかかったので、歩きながら次のステップで反対の足でそれを退けようとしたが、枝が思いの外長かったせいか、それに足を取られ転倒し、歩道の外側の垂直に切り立ったコンクリートの擁壁に頭をぶつけてしまった。幸い軽い怪我で済んだが、しばらくおでこに貼ったファーストエイドバンドが恥ずかしかった。

 転倒しても大事に至らなければ良いが、階段から落ちて救急車で運ばれた知人もいるので、下りの階段では必ず手すりを持つか、持たないまでもいつでも手すりが持てるように手すりに手を沿わせて下りるようにしているし、急な下り坂も出来るだけゆっくり慎重に下りるようにしている。

 階段で手すりを持っていて良かった経験としては、もう十年以上も前のことだが、雨降りで濡れた地下鉄の階段で電車が来たので急いでホームまで下りようとした時、滑って階段を踏み外しそうになったが手すりを持っていたためそれがブレーキになり反対側の肩や腕を階段の側壁にぶつけただけで済んだことがあった。

 さらに年寄りの転倒には視力が悪くなる事も関係しているかも知れない。老人のメガネには、下の方にだけ老眼の入ったメガネが多いが、そういったメガネは本や書類を読む時には便利だが、階段を下りる時には注意が必要である。丁度前下方を見るあたりが老眼用になっているため、遠方は見えにくく、階段を降りる時などに階段と床の区別がつきにくいので最後の一段を踏み外しやすくなる。

 イスタンブールの有名なガラタ塔へ行った時がそれだった。てっぺんから薄暗い階段をゆっくり降りてきたのはよいが、最後の一段と床の区別がはっきり見えなかったためか、踏み外して転倒した。係りの人がビックリして椅子を持って来てここへ座りなさいと言ってくれた思い出がある。

 またある時は自宅からさして遠くない交差点で、ショートカットして渡ろうとした時には、信号ばかりに気を取られていて、おそらく車止めのためのチェーンがしてあったのが目に入らず、それに引っかかって転倒したこともあった。

 チェーんと言えば年をとればよく見えていても注意すべきである。昔ならなんでもなく跨げたチェーンが歳をとると自分では跨げたつもりでも足の上がり方が悪く、引っ掛かり倒れたこともあった。以来チェーなどを越えるときにはなるべく跨がないで下からくぐるようにしている。

 また、ちょっと変わった転倒の経験としては、以前にどこかに書いたが、ステッキによる転倒である。転ばぬ先の杖が返って転倒の原因になることもあるのである。ステッキで調子をとって颯爽と道を歩いている時であった。ステッキは体の少し外側の地面を突くことになるが、丁度、道路の端の側溝に穴の空いているところがありそこにステッキの先がはまり込み、早足で歩いていたばかりに、それが梃子となって転倒し、手の甲を傷つけてしまった。ステッキを持って歩く時はゆっくり歩くべきだということを教えられた。

 こう見てくるとどうも普通の人より転倒の回数が少し多いような気がする。それでもここ十年以上もの間のことだから、歳をとれば仕方がないか?大きな事故に繋がらないように平素から気をつけるよりないが、転倒で一番の嫌なことは、それに伴う怪我もあるが、人間としてのプライドを傷つけられるような気がすることである。立っていてこそ人としての威厳も保てるものである。転倒して蛙がひっくり返ったような無様な格好は人には見せたくないものである。

 倒れた時にたまたま近くに人がいると、大抵「大丈夫ですか」と声をかけてくれる。親切はありがたいのだが、それを上回って恥ずかしい思いがして、慌てて「だ、だいじょうぶです」と言いながらそそくさとその場を離れることになる。

 折角声をかけてくれた人には申し訳ないが、それよりその時の屈辱感から逃れたい気持ちの方が優先してしまうのである。何はともあれ、例え転倒しても、せめてこのぐらいで済む範囲の転倒であってほしいと願っている次第である。