オバマ大統領の広島訪問

 最近行われたネット党首討論会で(2016.06.19.?)自由民主党安倍晋三総裁は

「伊勢志摩サミット後、オバマ大統領と共に広島を訪問し、核なき世界に向けて大きな力となった。日本とアメリカは、様々な課題に共に取り組む希望の同盟になった。昨年平和安全法制を成立させた。日本を守るために、日米はお互いに助け合うことができるようになった。」と語っているように、オバマ大統領の広島訪問を政府が日米の絆を内外に示すための重要なステップとしていたことがわかる。

 一方オバマ大統領もこの機会にプラハ演説に続いて核廃絶の希望を示したかったこともあったのであろう。しかし、原爆が戦争終結に役立ったというアメリカの世論にも配慮した上でのことなので、スピーチでも「空から原爆が落ちてきて悲劇が起こった」ような言い方しかできなかったのであろう。

 わざわざ広島へ来て爆心地を訪れるのなら、善悪の評価は別にしても、誰が落した原爆が多くの無辜の人々を殺戮したかという事実に触れるのが死者を弔う儀礼であったのではなかろうか。それが出来なければ日本政府の誘いに乗るべきではなかったであろう。

 広島で大統領が核廃絶を訴えたのとさして変わらない時期に、アメリカは膨大な予算を組んで核弾頭の更新を発表しているし、同じ頃に行われた国連での核廃絶へ向かっての会議にもアメリカは代表さえ送らず、日本は廃絶に向かう決議に一貫して棄権しているのである。

 こういう事実を見ると、オバマ大統領の広島訪問は単なる政治的なパーフォーマンスに過ぎないことがわかる。任期切れが迫った大統領にしても良いレガシーを残すことが出来るので、安倍政府の日米同盟を誇示したい思惑に乗ったのであろう。

 これで原爆被害者への追悼が幾分でも果たせた訳ではない。アメリカの行った非人道的な原爆投下の事実は永久に消えないし、実際に核廃絶に繋がらなければ犠牲者の魂に応えることもできない。日本が如何に原爆の非人道性を唱えても、世界にはいろいろな考え方がある。原爆の惨禍についての共通認識に達するまでには避けて通れない道がある。原爆が落とされた必然性ともいうべき先のお戦争についての評価であり、反省である。

 アメリカに従属した半独立国の日本では、今ではかっての戦争がまるでアメリカとだけの戦争であり、その原因となった日本のアジアにおける侵略戦争などはなかったかのような雰囲気さえあるし、最近は強いて嫌韓、嫌中感を広め、中国についてはあたかも仮想敵国ででもあるかのような報道までなされている。

 しかし原爆が落とされるに至った歴史を見れば、以前にも書いたが、敵国への無差別爆撃はヒトラーゲルニカやロンドン爆撃に続き、重慶の渡洋爆撃などがあり、その後に東京をはじめとする日本の大都市への焼夷弾爆撃、ドイツのドレスデン爆撃などへと拡大強化され、その先に原爆投下があったということになるのである。都市への無差別爆撃だけを考えても日本の関与もあるわけであるし、原爆のような大量殺人についても日本軍による南京大虐殺のようなことこともあったのである。

 日本人が広島の惨禍を忘れてはいけないのと同様に中国人は南京の悲劇を忘れてはならないとするのは当然のことであろう。原子爆弾という特殊性を考えても、日本も原爆を開発し始めていたのである。日本の起こした侵略戦争を抜きにして原爆の惨禍を世界の人に認めてもらうわけには行かないであろう。

 戦争による苦しみは日本だけのものでないばかりか、世界の目からすれば日本が戦争の悲劇を起こした張本人と考えられているのである。日本の侵略戦争に対する反省と謝罪なしでは原爆の非人道性や悲惨さを訴えても世界の人々の心には響かないことを知るべきである。