長く生きていてよかった

 孫が大学を卒業するというのでロスアンゼルスまで出かけた。私には二人の娘がいるが、二人とも成人してもなかなか結婚しそうになかった。そうかと言って、私は教育は親の責任だが、それから先のことはそれぞれ自分たちの責任で、好きなようにすれば良い。親が干渉すべきことではないと思っていたし、私には『家』という概念がないので、強いて積極的に相手を探すようなことをしたこともなかった。

 どちらにもボーイフレンドなどの話もあったが、一切干渉もしなかった。こうして成り行きに任せておいたが、そのうちに二人ともいつしか三十も超えてしまった。何かの集まりなどで同年輩の友人などに孫の自慢を聞かせられることなども増えてきた。それでも一向に結婚するような気配もない。「うちは孫は諦めなければいけないのじゃないかな」と女房と話していた時期が続いていた。

 それがどうしたことか、二人ともにそれぞれに全く違うそれぞれの経緯でアメリカに移り住んでしまい、二人ながらにそれぞれにアメリカ人の相手を見つけて遅まきながら、結婚することになってしまったのである。

 事の転回はすっかり変わってしまった。上の娘は結婚したのがもう40歳近くだったので子供が出来なかったが、下の娘の方が早く結婚し、まだ30代前半だったので、それから孫が3人出来た。

 孫は可愛いものである。子供と違って責任がないので余計に可愛いのであろう。以来、太平洋を挟んでお互いに行ったり来たりで時々会いながら過ごしてきた。

 孫の中でも最孫はどうしても一番印象も強く、特別可愛いいもので、思い出も多くなりがちなものである。まだ赤ん坊の頃、泊まった娘の家で娘たちの寝室から我々の部屋に向かって廊下を這い這いしてきた姿が今も思い出されるし、六甲山へ連れて行った時、バス停で抱いて待っていたら、行きがかりの人が孫の顔を見てびっくりして「大きな眼やな」と思わず 声を出したこともあった。

 以来アメリカでも日本でも色々な出会いを繰り返し、その度に撮った写真の量も半端な数ではない。いつもその時々で一番良さそうなものを拡大して額に入れて、孫に会えない間もベッドサイドの壁に飾てきたものであった。

 しかし、この孫が生まれたのが私がもう現役を引退した後の66か67歳ぐらいのことである。孫の成長をどこまで見れる事やら疑問であった。孫が成長して大人になるまではちょっと無理かも知れないなと考えざるをえなかった。

 私の父が90歳頃に曽孫がいないのが寂しいと言っていたのを思い出すが、私には曽孫などは考えられなかった。それどころか、大人になった孫が声をかけてくれることさえ無理だろうなという気がしていた。

 それが、年月の経つのは速いものである。そんな孫がいつしか大きくなって、つい先日に高校を卒業すると言ってアメリカへ行ってホームパーティなどしたと思っていたら、それももう四年も前のこと。今年は大学を卒業ということである。

 私にとっては考えられもしなかった幸運が舞い降りてきたような感じである。孫もいつの間にか大人らしくなってしまって、公衆の前での卒業の挨拶なども堂々としたものである。美人になったし、健康で魅力的である。

 やはり長生きはするものである。この国の世情ははまた嫌な方向に向かっているような気がしてならないし、この先世界がどうなっていくのか予測はつかないが、もういつまでも生きられるわけではないし、先のことには責任が持てない。

 後の続く次女が一年違いで来年は卒業だし、下の男子も来年高校を終える。今では、若い元気な孫たちが皆成人し、どのような世界で生き、それぞれにどのような人生を切り開いていってくれるか、期待を夢見られることが何より嬉しい。無神論者の私も未来に具体的な希望を託して無になれるであろう。