お子様ランチの仕切り皿

 この間、新聞にお子様ランチの仕切り皿が子供から中学生にも使われるようになり、更には四十代のお父さにまで拡がり、最近では親が三十代〜四十代の家庭では半数以上がこの仕切り皿を日常食器の一つとして使うようになっていると書かれていて、想像したこともなかったので驚かされた。

 しかし、考えてみると、もう今では昔のように家族が揃って夕食をとるという景色がむしろ稀な機会となり、家庭内でも皆が自分たちの都合の合わせてそれぞれ別々に食事をする、いわゆる個食の時代になっているようであるから、それに合わせて食器なども変わっていっても当然であろう。

 一人一人別々に食事をすることが多くなると、必然的に食事に労力をかけることが少なくなり、カップ麺やコンビニ弁当など器を使わない簡易食品や、出来合いの食事を買ってきて家で食べる「中食」が多くなるだろうし、誰かが他の家族の食事を用意するにしても、出来るだけ手間を省き簡略にすませるように工夫することとなる。

 そうなると、茶碗にお椀、お皿に、小鉢などといろいろな食器を用意するより、一つのお皿にまとめた方が簡単で便利である。お子様ランチの仕切り皿なら見た目も悪くないし、全てが一つで済むので最適だということになる。昔の松花堂弁当のようなものである。

 その上、バラバラに食べる家族のための取り置きにも便利だし、自分で持ち運び、好きな場所で食べられる。洗い物も少なくて楽になる。いろいろと個食化した現代の家庭に適応しているので自然と流行していったものであろう。おかげで最近は普通の家庭用の食器が売れないそうである。

 そう言えば、最近はお茶はペットボトルのお茶を飲むので茶瓶や急須のない家庭が多いらしいと女房が話していたし、包丁は使わないし危ないからといって包丁もまな板も置いていない家が多いともどこかで読んだ。

 今やわれわれは現役世代との接触も減り、老人だけの生活が長く続いているので、若い人たちの日常生活や文化、考え方などを直接に聞く機会が少なく、電車の中や街で見かける若者たちの姿や行動などから計り知るよりないが、大きな世の中の動きとともに、人々の日常生活や習慣も昔とは随分変わってしまっているようである。

 それでも政治や社会の動きが再び戦前のような世の中にはなって欲しくないと思うのと同様に、日常生活が過度に効率だけに引っ張られてゆとりをなくすことなく、若い時の家庭生活も大切にして少しは精神的にゆとりのある生活をしてもらいたいと思わずにはおれない。

 家族が揃って夕食をとったり、ともに団欒を楽しんだりすることは効率一辺倒の世の中にあっても、人生を豊かなものにしてくれる大事な要素であることを忘れないでいて欲しい。

 例えば、昨日読んだインターネットの記事でも、カナダの研究者の調査結果で、頻繁な家族での食事の有無と、青年の摂食障害、飲酒、薬物使用、暴力的な行動、抑うつ、自殺企図などが負の相関関係を示し、自尊心の向上や学校での成功とは正の相関関係を示したという成績があったが、家庭の有り方が構成員の心身に与える影響の大きいことを示唆している。

 時代とともに生活様式が変わることは決して悪くないが、資本主義社会の発展はますます社会の隅々まで効率主義を強要してくるので、それに流されず、人生は結果ではなく過程こそ大切であることを忘れず、人々が少しでも内容の豊かな人生を送って欲しいものだと願わないではおれない。