指紋が消えた

 成田や関空などの国際空港に「自動化ゲート」が出来たのをご存知ですか。

 空港での出入国の時、出入国窓口の前に長い行列を作って並ばされ、係官にパスポートを見せて簡単な質問をされたり、場合によっては指紋などを取られて通り抜けなければならない窓口である。日本の空港ではまだマシだが、アメリカなどではそれこそ長い長い列に並ばされて、折角、飛行機で現地についても、入国を許可されて空港を出るまでに一時間以上もかかることも多い。

 最近は日本でも観光客が増えたので、日本人の帰国の場合はまだあまり問題でないかも知れないが、外国人の入国にはかなり時間がかかるようである。先日アメリカ人の孫たちを迎えに関空へ行った時など、飛行機が到着しているのに一時間以上待っても出て来ないのでイライラした。

 その出入国管理ゲートに、予めパスポートや指紋を登録しておけば、空港で機械にパスポートと指紋を読み取らせるだけで済む無人のゲートが設置されるようになったということをインターネットが教えてくれたので、来月アメリカへ行く機会もあり、早速利用してはと考えた。

 インターネットで法務省のの案内のページを見ると、この近辺では関空の他に大阪の南港にある入国管理局でも手続きが出来ると書いてあったので、地下鉄の中央線に乗る機会を利用して、足を伸ばしてコスモスクエアまで行き、入国管理局へ手続きに行くことにした。

 ところでその前に、 法務省の案内をよく見ると、自動化ゲートの利用者登録及び利用に当たっての留意事項として、「自動化ゲート利用時にお一人で指紋の提供又は機械の操作ができない方は利用ができません。」とか「指紋の状態(摩耗や加齢等)により,登録できない場合や,登録していても照合できず御利用になれない場合があります」などと書かれているので、念のためと思って自分の指先を眺めて見て驚いた。

 平素は自分の指先の指紋など特別な時以外、気にしてじっくり見たこともない。当然、昔から変わらぬ指紋があるものとばかり思っていた。ところが改めて指先をしげしげと眺めてみると、昔ははっきりしていた指紋が今では薄くなって不明瞭で、縦皺ばかりが目につく。いつの間にか指も歳をとってしまったようである。

 これではひょっとしたら指紋採取が出来ないかも知れないと思いながらも、兎に角試してみようということで女房と二人で訪れたのであった。出入国管理局は地下鉄のコスモスクエア駅のすぐそばにある大きなビルで2階は外国人も受け付けらしく賑わっているようだったが、自動化ゲートの受付の3階は誰もいないような閑散とした感じの事務所であった。

 まだ自動ゲートのことがあまり知られていないためか、他に待つ人もなく、係りの人も暇なようであった。こちらから予め「老人では指紋採取出来ないこともあるようですが行けますかね」と尋ねてみたが、「とにかくトライしてみましょう」という返事で、申請書を書いて、指紋採取を行った。

 並んでいる二台の指紋採取機に女房と同時に、それぞれの機械に両手の人指し指をかざして試みたが、案の定、機械がうまく読み取れない。係りの人が親切にウェットティッシュを出してくれて、それで指先を拭いて湿気を加えてやり直しても二人ともダメ、次には少し温めてみてもやはりダメ、さらに用意してあったクリームや泡状のものを出す器具を用いて、それを塗ったり、吹き付けたりしてやり直してもうまくいかず、人差し指を中指に変えてみても同じ結果。係りの人も親切で、根気よく何度も何度もやり直してくれたが、結局は二人とも揃って仲良く採取不能ということになった。

 係りの人が気の毒がって、空港でも出来るので、そちらでまた試してみてはと言ってくれたが、次回、空港で仮にうまくいったとしても、その後、実際にゲートを通過する時にうまく読み込んでくれなければ、結局は普通のゲートに並び直さなばならないことになるだろうから、無理をして登録しない方が良いのではなかろうかと思い、登録を諦めることにした。

 これまで考えたこともなかったが、老人になると指紋も退化して当てにならなくなってしまうようである。老人が増え、老人の犯罪が増えても指紋が証拠に使えないし、拇印も判子の替わりにはならないことになるのではなかろうか。ある老人が指紋認証方式の金庫を買い、なんとか指紋採取して使えるようにしたのは良いが、いざ金庫を開けようとしても指紋認証が取れず、鍵が開かなくて困ったという話を聞いた。

 思い返せば産業医をしていた70代の後半の頃、会社のパソコンの指紋による個人認証があったが、寒い朝などそのままでは認めてくれず、指を温めて息を吹きかけてからやり直さなければならないことがあったが、その頃から徐々に指の皮膚にも老化の兆しがあったのであろう。

 それが進んで今や指先も全くの老化してしまったようである。眺め直して見ると、縦や横の皺ばかりが目立って指紋はその陰に隠れて、肉眼ではどう見ても、もう判然としない。これでは個人識別には使えないとされても納得せざるをえない。自動化ゲートのことを知って、これは便利だと思ったものの、思いもかけず、自分の指の老徴を確かめることだけに終わってしまったようである。