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恋塚寺

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 たまたま地元のハイキング情報を見ていると、京阪の丹波市駅で降りて古い町や幾つかのお寺などを覗いて鴨川に至り、北上して鳥羽離宮跡から城南宮に行くコースが目に止まった。城南宮には以前にも二、三度訪れたことがあるが、丁度時期的に枝垂れ梅や椿が見どころだし、丹波駅周辺へは行ったことがないので、女房と二人でおよそそのハイキングコースに沿って歩いてみることにした。

 城南宮は曲水の宴などで有名で、回遊する庭園も綺麗だし、椿や梅は少し遅かったが、緑の上に散った赤い花が美しく熱心にカメラを向けている人もいたし、散りかけた枝垂れ梅を名残惜しそうに写真に収めている人もいた。

 ここらあたりの鴨川沿いの緑地や桜並木も初めて知ったし、鳥羽離宮跡の公園なども結構良かった。また、城南宮の後で訪れた白河天皇鳥羽天皇近衛天皇陵も新たな発見であったし、仲々雰囲気の良い場所でもあった。そこにあった案内図によるとここらの南は水郷のようになっており、それに沿って鳥羽離宮や城南宮、御陵など、お互いに関連した色々な施設が営まれたようである。

 つい私の子供の頃にはまだ残っていた巨椋池を思い出した。それはもう少し南の方だったような気がするが、もっと昔は今よりも木曽川宇治川桂川の合流地点のあたりより上流の宇治川よりは広い範囲で水郷地帯のようになっていたのではないだろうか。水辺に沿って建てられた当時の離宮などをいろいろと勝手に想像して楽しんだ。

 それはそうとして、今回のハイキングでの思わぬ発見は恋塚寺であった。丹波橋の古い町を貫く丹波橋通りを鴨川に突き当たる辺りまで行った所にある小さなお寺だが、情報誌で知ってから名前が気になって、出掛ける前からどういうお寺なのか興味があったが、寺の前の案内板の文字がすっかりかすれてしまっていて全く読めない。

 藁葺きの山門だけがユニークで目立つていたが、狭い境内の奥にある本堂は建て替えたらしく新しい感じであまり立派なものではなく、人はおらず入り口は閉まっていて、山門を除けばそこらにあるお寺と変わらず、仕方がないのでそのまま通り越して先へ行ってしまったが、どうも名前が気になるので帰ってからインターネットで調べてみて驚いた。

 このお寺はご存知の方も多いだろうが、源平の時代の北面の武士であった遠藤盛遠が出家して文覚上人となるきっかけとなった事件で、すでに武士の妻となっていた従姉妹にあたる袈裟御前に盛遠が一目惚れして、御前の母に遭わせるよう強要し、会って妻になるよう強いたので、袈裟御前が「貞と孝の間」で困り果て、一計を案じて盛遠に自分を殺させたという話で、その結果の袈裟御前の首塚がこの寺ということのようである。

 この話はあまりにも昔から有名で、私がまだ若い頃、「地獄門」という有名な映画があり、私も見たが、長谷川一夫が盛遠で京マチ子が袈裟御前、衣笠貞之助監督という顔ぶれであったが、それがこのストーリーであった。原作は菊池寛の「袈裟の良人」という小説であったそうである。

 その他、この話は随分沢山あちこちで使われており、芥川龍之介も「袈裟と盛遠」という文を書いているし、狂言長唄、日本舞踊、歌舞伎から舞台、演劇、オペラから落語に至るまで、細かい点では違いもあるが、殆どあらゆる分野で取り上げられているようである。

 ちなみに、盛遠が出家してなった文覚上人は嵯峨野の神護院の再建に寄与し、源頼朝とも色々働いた人らしく、神護院などで有名な明恵上人もこの人の弟子になるそうである。

 そんなに有名な話に繋がるお寺であればもう少し広く世に知られて、立派な建物でも良いのではないかとも思われるが、現実の世界はお寺に取っても厳しいのであろうと思われる。

 たまたま知って楽しませてもらったが、「犬も歩けば棒にあたる」で思わぬ所で思わぬ楽しみにぶつかるものである。齢を取ってもやはりあちこち知らない所へも行ってみるものだとつくづく思う。