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三ない主義

 この3月11日で東日本大震災から5年になる。地震津波は天災で仕方がなかったとしても、それに伴った福島原発メルトダウンによる爆発、広汎な放射性物質の拡散による被害は国会の事故調査の結果でも明らかなように人災であり、絶対に不可避なものであったとは言えない。震災以前にも原発の危険性については幾つかの裁判でもその安全性が争われていたことである。

 それが現実になり大災害となり、今なお大きな後遺症を残したままである。破壊された原発は未だにそのままでいつ廃炉に出来るか予測さえつかない。放射性物質による環境汚染で未だに故郷へ戻れぬ人さえ大勢いる。被曝については政府は今ではまるで事故自体がなかったかのように「被災地の野菜を食べて応援」などと宣伝し、消費者の目線からの報道はほとんど見られなくなっているが、放射能による被害は今後も長期にわたって続く可能性が高い。

 そんな中で今なお強い原発再稼働反対の国民の声を無視し、満足な説明もないままに、なし崩しに原発の再稼働が始まっている。なぜ再稼働が必要なのか、再稼働によるメリットは何で、危険性はどうなのか、といったことに関して国からも電力会社からも満足な説明がなされたという話を聞いたことがない。広く議論が交わされてもいない。

 ただ黙って、新しい基準に合格したからといって次々に原発の再稼働が起こっている。それも、再稼働の判定を行っている原子力規制委員会は世界一に近い基準だとしているが、それに合格したかどうかを判断しているだけで絶対安全だとは言っていないと繰り返しているし、災害時の周辺住民の避難訓練さえ行われていないのである。

 多くの人の生活や命にも関わる重大な問題なのにこの国ではどうして十分な説明もなく議論も交わされないのであろうか。人々の再稼働に対する懸念は消えず、昨日だったか、大津地裁で高浜原発の運転禁止の仮処分が出されたが当然の帰結と言えよう。

  確かな根拠に基づいた思想があり、それについて活発な議論が交わされれば、何が基本的な問題で、どうするのが良いのか多くの人も判断しやすいであろうが、議論も批判もなく、沈黙のまま何処かで勝手に決められ、強引に進められてしまうのがこの国のやり方のようである。

 このような人々の運命にもかかわる問題にさえ「議論なし、批判なし、思想なし」の時代遅れの「三ない主義」はもういい加減に終わりにしてもらいたいものである。民主主義の政府は国民に責任を負うべきである。もっと国民の声を聞き、批判や議論を経て事を進めるべきである。議論を通じ批判によって思想は鍛えられ、より賢明な道が選晴れるのである。

 原発の再稼働についても色いろな意見があっても当然であろう。ヴォルテールの有名な言葉にも「あなたの意見には反対だ。しかしあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という。しかし違った意見を戦わすことなく、確たる正当性の表明もなしに、ただ原発の設備があるからという理由だけで黙って闇雲に再稼働するのは人々の不安を増すばかりか、安全にも繋がらないであろう。

 絶対安全という神話が消えた以上、如何なる思想のもとで、如何に判断し、如何にするかを公にもっと広く議論した上で決めるようにしなければ次の災害でこの国自体の将来が消滅する恐れさえあるであろう。

 註:「三ない主義」というのは本来老子の唱えた「三無主義」すなわち「無税、無失業、無戦争」や日本で1980年頃言われた「しらけ世代」の若者の「無気力、無関心、無責任」に習った言い方。似たものに「三ム主義」というのが物造りの現場で「ムリ、ムダ、ムラ」をなくす標語などに使われた。