裏取引

 人間の世界で裏取引がなくなることはないであろう。元々は皆で公平にやろうじゃないかということから約束事ができ、それが法律として定着してきたのが今の世界であるが、人間の欲望は止めようがない。

 法を守るべきであることは分かっていても競争社会では、他人を出し抜いてでも勝って利益を得たい欲望に駆られ、こっそりと一人で、もしくは共謀して裏取引をすることがなくならない。

 それも個人でするならまだしも、社会が複雑になるほどに組織的に法を破るようになれば公正な社会秩序を乱すことになり許されない。しかしいかに法律を作ってもその法の網をくぐったり密かに法を破って裏取引をすることが後を絶たない。

 表面を取り繕ってそれを当然のことのように皆で承知で法を破ってされる取引が談合である。法律よりも力が優先する世界では法は建前であり飾りに過ぎない。これは未開の国に限らない。

 近頃は中国の発展を妬んで、日本は先進国だが中国は遅れているのでまだまだ近代的な法治が行われていないとけなす人がいるが、日本の現状を見るとそんなことが言えるのかと思わざるをえない。

 最近のニュースに限っても、福島の災害復興道路の建設での談合があり、教科書検定をめぐる収賄事件に続いて、甘利TPP担当大臣の汚職が問題になっている。これらの事件は過去を振り返っても同様な事件のなかった時代がなかったことからもわかるように、現在に特別な事件ではなく、こういったことは広く絶えず起こっていることである。

 しかも当事者にはさして悪いことだとの認識がなく、例えば道路や建設の談合は関係会社に公平に割り振っているのであり、その方が潤滑にことが回って良いとする意見さえ多いようであり、将来も必ず繰り返されることは間違いないであろう。福島の場合も関係した12社が公平に割り当てられていたそうである。

 教科書検定事件の場合も、はじめに問題とされた会社だけでなく、従来からの仕来りで行われていたわけで、関係した12社全部が同じようなことをしていたようである。

 こうなると当事者にとっては自分らのやっていることの方が正当で、法がそれを妨げているとでも言いたそうな感じさえする。法律の順守よりも仲間内の馴れ合いの掟に従った大勢順応主義の方が優先しているようである。

 人間社会である限りこうした不正がなくなることはないであろうが、その不正の大きさや多さを見ると、この国もそんなに先進国だなどと自慢できる国ではないことがわかる。

 役人のやっていることを見ても、いかにその法律を解釈して抜け穴がないか探す事ばかりしている。その最大のものが憲法の解釈である。平和憲法の下であそこまで出来るのかという滅茶苦茶な戦争法案の成立である。法が軽んじられていることにおいてこれは上の組織的な談合や汚職と無関係ではない。

 談合や汚職がゼロにならないまでも、もう少し公明正大が幅を利かす世になってほしいものである。